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裏と表を作らない

「表向き」、「裏の顔」などの言い回しがあるように

誰かに見せる顔と自分だけの時の顔を使い分けることで

社会の中で、誰かに迷惑をかけたり不快にしないようにすることが良いっと

されているところがあるんじゃないかなーっと思います。


極端な例をひとつ。

いつだったか、石垣島でのリトリートをご一緒にっとお声かけいただいた時のことです。

何度か目の打ち合わせの時

「参加者さんのことなんて、とりあえず褒めておけばいいのよ。

みんな褒められ慣れていないから、それだけでいい気分になるんだから」っと言われて

ショックを受けたことがあります。

もちろん、私は感じていないことは言葉にしたくないし、

適当に褒めるって、参加者さんに対して尊重がないように感じてしまいます。

だから、「とりあえずなんでもいいから褒める」っと言うことはしないこと、

そこに意味を見出せないことなどをお話しました。

そこから、少しづつのズレがあることがわかってきて

そのリトリートはお断りしました。


でも、そのお相手が悪いっということではもちろんありません。

もしかするとその方は、「褒められる」っという体験を通して

受け取ってほしい何かがあったのかもしれない。

もしかすると、その方自身がそのような体験を通して

ご自身を受け入れるプロセスを通ってきたのかもしれない。

ただ単に、伝え方が不器用だったのかもしれない。


でも、感じていないことを言葉にするっと言うことには

注意深くいたいと常々思っております。


本当に心からそう思っていない、お世辞や同意ってついついその場を凌ぐために

言葉にしがちです。

でもそれが自分の中のアンバランスを作ってしまうんですよね。


言葉ってとっても大切。

だって、常に自分の言葉を聴かせているのは自分の耳です。

だからと言って、いつでも持論をぶつけろっと言うことではありませんよ。笑


例えば同意できない時、あなたならどんな言葉を発しますか?


もちろんそこに正解がある訳ではありません。

さて自分だったらっとちょっと自分自身と相談してみてください。




私だったら......

「へーそうなんだー」とか、「そんな風に考えるんだー」など

相手のことはそのままに、でも私は同意も否定もしないようにします。

(クラスではビシバシ突っ込むこともあります。笑)

あと深刻にならないように意識的に好奇心を向けてみることもあります。

そんな時には、「なんで?」っと聞くこともあります。


さて、みなさんはどうかしら?



自分が話し手の時も同じです。

自分が本当に感じていないことや、そう思っていないことを言葉にすると

それは自分の目(書く時)や耳(話す時)を通して自分が受け取ります。

本当に感じているとこととズレがある場合

体の中にそのズレがバイブレーションとして響きます。

そのズレのバイブレーションの積み重ねは、

自分が本当はどう感じているのかを分からなくしてしまいます。

強いて言うなら、自分に嘘をついているような状態だからね。

嘘をつき続ける人のことって信用しなくなるでしょ?

それが自分と自分の中で生じてきちゃうのです。

信用しない人に、もう自分の本心なんて打ち明けないじゃん?

自分の心の内側がどう感じているのか、表層の(認識できる意識の)自分に

伝えてくれなくなっちゃう。


だから、本心と違うことを言葉にし続けると

自分がどう感じているのか、分からなくなっってしまうんです。


表の顔と裏の顔、使い分けていたらちょっとここで戻ってこよう。

どちらも自分。

だったら、その自分を統合してみませんか?


馬鹿正直に全てを言葉にする必要はないけど

思っていない事をわざわざ言葉にするっという選択をしなくていいっという事を

頭に置いておくだけでも、自分に嘘をつく必要がなくなります。


そして、自分に正直になれるようになってきたら

どうして「誰かに合わせて言葉を発したかったのか」っと言うことがわかってきます。

結局は自分の心を守っている行為。

誰かのためではないのです。


自分が自分に正直でいる時間が長くなってくると

そのままに受け入れることができるようになってきます。

どこに行っても、誰といても、居心地良く

自分らしくいられるようになってきますよ♡


まずは自分が自分に正直に!

言葉に意識的でいてみましょう。





◉ありのままの自分に戻る時間◉

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