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自然そのもの

先日のことです。

インドの北の方の先住民ワルリ族の

伝統的な手法で書かれる壁画を見に行ってきました。


ぐるっと見ていて

最後の一つ、体の内側がワーっと熱くなるような感覚があったのです。

インスタで文字にして表現しようとしたのですが

何度書いても、ちょっと違う。

そんな短い文章では表現できない物を感じました。


ご兄弟で来日していて、壁画制作もそこでされておりました。

一度は離れた部族の生活。

そこからまた、伝統に戻った兄弟。

村のお年寄りたちから、その部族に伝わる大切な自然への敬意を

物語として伝えられているのか、改めて学び

それを大切に表現しつつ、現代の社会とどのようにそれらが混ざり合っているのか

ご兄弟の感じる「今」が伝統の手法で描かれていました。


どこの部族でも身近にいる精霊。

近代的なビル。

自然と共存していたり、共存を望んでいたり。

そんな絵が多い中、最後の絵に描かれていたのは

「人間は自然の一部ではなく、それそのもの」っということ。

これ、私も瞑想をしていてよく感じておりまして。

きっと何か響き合うことがあったのだと思います。


よく「人も自然の一部」っと言われますよね。

私も以前はそのように捉えていました。

でも、ここ数年はちょっと違って、

人間だけ自然の一部って表現するのに違和感があるんです。

一部ってことは、それらと切り取られている感覚がベースにあって

それの一部であることを再認識するっという感じや

それらとは違う、特別なもののような感覚をその表現から感じ取ります。


これとよく似たものに

「自然から元気(エネルギー)をもらう」っというもの。

いや、実際自然の中にいくともらいよね、元気。

でももらってばっかりなんて、なんて欲張りな!笑

大きな木を見ていた時に、以前だったら元気をもらうっという感じになっていたのが

「私の元気あげるねー」っという感覚が内側から現れ

「あー。全ては循環なんだなー」っと深く腑に落ちたのでした。


人工的な都会に住んでいると忘れてしまうけど、

例えば、滞在していたタイのお寺のおトイレ。

簡易小屋のようなトイレの建物はあるけど

実はその下は地面に穴を掘っていて、全て土の中に返すっというものでした。

そこがいっぱいになったら、また別の所に穴を掘るの。笑

だから、紙も使っちゃいけない。

シャワーは、蛇口から池の水が出てくるので間違っても口に入らないように

注意深く体や髪を洗います。

そして、排水溝を出た水はそのまま森に垂れ流し。

すごいよね。

昔の生活ってきっとそんな風に、循環が身近にあったのかも。


私たちの生活も本来は自然から切り取られたものじゃない。

太陽が照らなければ、食物一つ食べられない。

雨が降らなければ、顔だって洗えない。

自然の恵みをいただき、本来はその自然と循環をして命を紡ぐもの。

自分のあり方ひとつが、実はその自然に大きな影響を与えてしまう

とても大切なもので、とてもちっぽけなもの。


木の芽が出て、育ち、花をつけ、実になり、種ができて、また芽が出るのと同じ。

生まれて、育ち、社会の中でいろんなものや事と関わり、老いて、死に、灰になる。

全く変わりない、特別でもなんでもない命。

だからこそ、変わりのない唯一無二の大切な命。


この世はとてもうまくできているなーっと

感動せずにはいられないですよね。

そんな世界を体いっぱいで感じられるありがたさ。

ありがたやー!


なんてことを感じたのは、こちらの絵です。

「ワイエダ兄弟のワルリ画の世界」9月5日まで。@ツオモリリリ文庫






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