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クラニオセイクラル

クラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)を去年の年末くらいから

学びはじめました。

いくつかの1日集中講座を経て、今回長く学ぶ講座に参加しています。


やはり面白いのは先生によってフォーカスしていることが違うっというところ。

みなさん、同じものをベースに学ばれ、

そしてそれを踏まえてお伝えくださっているなーっと

感慨深いのですが、その先生によってやはり響いたところが違ったり

あるいはそれまで学ばれていらっしゃるベースが違うので

これはもう丸っと包括しちゃえっというバックグラウンドが見えたり、

環境的に誰かに触れるというよりも自分を整え緩めるワークとしてお伝えくださったたりと

その先生方らしい魅力が満載でした。


今回私が参加させていただく継続して学ぶコースは

基本の「き」から進んでいくものですが

先生の度量が思い切り大きくて、何年かかったらそれ教えてもらえるんだろう?っという

アドバンスな内容まで、質問すれば遠慮なく深く学べそうなコースです。(笑)



そして、この講座に参加していて感じたのですが

やはり、触れる方がどんな意識で触れるのかってとても大切!っというか

なんならそれが全てだなーっと。


表面の筋肉の強ばり、骨格の歪み。

それらはもちろん生まれつきの特性もあるかもしれませんが

基本バランスをとって生活しています。

それが痛みという感覚になるには表面だけを揉みほぐしても

その元となる歪みや強ばりがそのままであれば

あっという間に元に戻ってしまいます。

だからすぐにまた揉みほぐしたくなるんですよね。

でも、体も必要があって強張っているので

ほぐしちゃわれないようにもっと硬くならねば!!っとより強ばりやすくなる。

だから段々と強い揉みほぐしを求めてしまうようになるんです。

でも結局原因はそのままだから、そのままにしておくと体はもっと強い信号を送らねばっと

今度は疾患という形をとって私たちに伝えようとしてきます。

それは時に体に現れる疾患だったり、心に現れたり。


だから原因となっている根本から緩めて行くのです。

それがクラニオセイクラルでできること。


でも触れる側の自意識が働いてしまったり

手技だけでどうにかしようとすると

その大きな恩恵は残念ながら発揮できないのだと感じております。


触れる側(施術者)があるべき姿に委ねられるかどうかが大切。

あーっ!瞑想やマインドフルネスをやっててよかったとつくづく感じております。

そして誰かに触れるということをお仕事にされていらっしゃる方にこそ

実践してもらいたい!っと。

だってせっかくみんな頑張って手技などをお勉強するんですから

それがどんなアプローチであっても、施術者の在り方がぐらついていたり

芯がない状態であればそれは体の表面ににしか働きかけないもんねー。

それってちょっと残念。

っというか、そこが変わるとセッションが変わるんですもん!



あ、あれ?

なんだか話がずれちゃいましたが!!


なんだかんだと学びを続けておりますが

心からのアプローチ、体からのアプローチ。

結局全て繋がっていて、同じことを目指しているのだと

実感したんだっというお話なのです!

えへへへへ。


昔から「身心一如」と言います。

(*心身一如は新しい表記。昔は体が先に表記されておりましたよ)

体と心は繋がっていて、お互い影響を及ぼしあい、ひとつのもの。

そしてそれらを整えることで、自らの魂が顕になるのだと思います。


”魂”っなんて表現すると途端に怪しくなりますが

誤解なく、わかりやすく言い換えれば

誰でも根本は子供のように純粋で軽やかな心の持ち主。

その軽やかさが現れて、その人らしい体験を積み重ねて生きていくさまだと

捉えていただくと、きっと怪しくはないはず!


もしも言い換えたりせず

マニアックに語りたい方はどうぞ個人的にお声かけください(笑)

わはははは。













 

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