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罪悪感

先日、息子の誕生日でした。

24歳、私が息子を産んだ年になりました。

なんか、折り返し点っぽい感覚。笑


心のことを学ぶ過程で何度か耳にした母子の関係。

特に母が与える子供への影響。

これは、自分が親から受けた影響から自由になるためによく出てくるんだと思うのですが

母である私にとっては、罪悪感を募らせるものとなっていました。


自分と母の関係。

これは、ヨガや瞑想を通してかなり早くに手放せた気がします。

自分が母になったことでも、自分なりに理解もできたし

私の母は若い時の経験をしっかりと受け止めていたので

私を縛りつけることも少なかったように思います。

私への期待や母自身がが思うこと、そして私が選択できるのだということを

伝えてくれていたような気がします。


多くの人たちが、心が軽くなるために学ぶ母子の関係ですが、

私の中では、一生懸命やっていたことが

息子に本当によかったのだろうか....っと責任感と共に罪悪感がむくむくと起こり

それが、時が経つにつれごめんねっという気持ちが大きくなってしまったのです。


・自分の時間の都合で急かすんじゃなかった

・ママ同士の付き合いのために息子に言い聞かせてしまった

・期待を正義にして押し付けてしまったのではないだろうか

・期待は、実は不安が根底にあった

・アレルギーへのアプローチ

・感情が高まり、そのまま叱ってしまった

・家族の形

・もっと自由にもっと彼の心により添えたはず

・本当に選択肢は彼にあっただろうか


挙げればきっともっとある。


母が無条件に愛することの大切さと尊さに気がつけば気がつくほど

苦しくなっていることにも気がついていました。



それが、今年の誕生日ふと改めて気がついたんです。

もう苦しくない!!

ただシンプルに生まれてくれてありがとー!っと

生まれたての分娩室で感じたそのままの感覚しかありませんでした。

やっぱり気がつくタイミングでちゃんと気がつける!

罪悪感の胸のキュッとなる感覚を、何かポジティブなものに無理やり変換することなく

ありのままの感覚をそのままにするのって時には苦しいけど、

苦しいその感覚をちゃんと感じて、そのままにできた。

それは瞑想などを通してしなやかな心を育んでこれたからだと思います。


誤魔化したり、他の何かのせいにしたりしなかったからこそ

原因もドラマも何も必要なく、手放していました。

真面目に(と言っても重苦しくない真面目ね)淡々と

瞑想やいろいろなワークをしていてよかった!


頭で理解しても、感覚ってついていかない。

無理やり理屈で自分を説得しても、それはまた新たなアンバランスを生んでしまう。

本質でストンと府に落ちた時に変容は起こります。

だから瞑想も淡々と行うのがポイント。

ただ当たり前のことをしているんだから。


もう息子への罪悪感は私の中にありません。

そして、気がつくと他のいろんなことに対する罪悪感もない!

どんなに罪悪感は必要ないよって学んでも手放すことができなかったそれが

時が満ちるとちゃんと起こるのですねー。


不思議なことに、私の感覚が変わると息子にも変化があったように感じます。

彼もなんだか爽快感がある。

関係ってお互いのものだからね。


お誕生日は、生まれてきてくれたことをお祝いする日。

生まれてきてくれてありがとー。




写真は小さい時のもの。

熱を出してしまって

お友達とのクリスマス会に行けなかった時。今でも娘のように慕ってくれる

幼なじみが届けてくれたクリスマス会

のおやつ。


かわいいなー!!!

なんでそんなにお腹ぽっこり!笑


今でも柔らかい小さい体を

感じられそう。

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