「待つ」ということ
- cocoyogayukari
- 2 時間前
- 読了時間: 3分
私たち現代人は「待つ」ということが苦手になっているように感じるんです。

こちらの写真、先日インスタにもアップしたのですが、ハサミがポキっと折れてしまっております。笑
少し前に、剥きたての胡桃のおいしさは、よく売っている袋詰めのナッツとはまた違って、クリーミーで美味しい!と教えていただきまして。
早速ネットで購入したのです。そして一緒にくるみ割り器もポチッとしました。
そうしたらですね。
胡桃だけが先に届いたのです。
数日待つだけで、くるみ割り器も届くのに、その教えてくださった方が、ハサミで割っていたのをみていたので、私もハサミでやってみよう!っと試みたところ、ポキっとです! 笑
待たなかった。というより、待てなかったというのが正直なところです。えへへ。
ハサミで割っているのを見ていながら、なんとなくくるみ割り器も買ったのです。
そして、それってそういうことなのだと思うのです。
えへへ。
今、まだくるみ割り器届いて意なので、じーっと胡桃は見るだけのお預け状態。
今ってなんでもスピードが速いと思うのです。
YouTubeだったり、いろんなSNSだったり、ショート動画だったり、次から次へと情報が流れていきます。
私が子供の頃って、もっと時間の流れがゆっくりで、「待つ」時間がたっぷりあって、「待つ」ということに慣れていたと思うのです。
例えば、ドラマなんて、今のネットのように次から次へと ”一気見” なんてできなくて、1週間待たなきゃいけないのが普通だったり。
例えば、スポーツ中継もどんなにいいところでも、CMが入ったり。時間切れになってしまったり。
手紙だって、荷物だって、すぐに届くことはなく、遠くに引っ越した友人との連絡はそれこそ、1ヶ月に1回のやり取りがやっとだったり。
今回の胡桃のように、ポチッとしたら次の日に玄関まで届くなんてなかったよね。
私たちは、無意識のうちに生き急いでないでしょうか?
すぐに結果が出ること、すぎに成果が見えること。
まるで、ポチッとしたら次の日に玄関に届くかのように、無意識の中で「待つ」ということ、時間を必要とすることがあるということが、苦手になっていないでしょうか?
ちょっと振り返ってみてください。
そしてもしかするとそうかもしれないと思うようであれば、ぜひ「何もしない時間」を隙間にとってみませんか?
ただぼーっと空を見たり、風を感じたりする時間。
考え事をする時間ではなく、意識的な「何もしない」時間です。
それが、「待つ」ことが苦手になってしまった大人にも、時間の優雅さを思い出させてくれる気がするんです。
生き急ぐ必要はないよという安心感を取り戻してくれる気がするんです。
大丈夫。
必要な時に、必要なことはきっと起こるよという「信頼」のような優雅さ。
ということで、私はくるみ割り器がくるのをじっと楽しみに待ってみようと思います。
ふふふふふ。





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