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欲についての考察

あなたにはどんな欲がありますか?


意欲・向上欲っと言われる歓迎されるものから

睡眠欲・食欲など生きるための生理的な欲や

物欲・承認欲など社会的欲、自我を満たそうとする欲まで

いろんな欲があります。


行き過ぎた欲は心を蝕んでしまうよっと仏教では言われていますが

じゃあ意欲は欲だけどいいの?

向上欲はよくあろうという願いだけど欲だから持たない方がいいの?


どうなの?どうなのーーー?っとなってしまいますよね。


私の個人的な見解をズバッといってしまうと

「どれも欲。だから手放せるなら手放したらいい」です。


この欲は悪い欲、これは良い欲っと分けているのは思考です。

「いい」「悪い」なんてないんですよね。

これは自分を高める欲だから歓迎しちゃう。

これは自我を満たそうとしているから持っちゃいけない。

などなど、どれも思考が2つに分けているだけなのです。


でもだからって全ての欲を捨てよう!っといってできないのが

私たちかわいい“人間”。

人間だもの!っというやつです。


でもさ、でもさー。

睡眠欲や食欲まで無くしてしまったら生きていけなくない?

性欲がなくなってしまったら人類が滅亡しちゃうじゃん!

っと思った方もいるかしら?


深く掘り下げて話すとちょっと混乱してしまいそうなのは、

心理学的に “欲求”として分類されているものと

必要以上の “欲望” が混乱をもたらしてしまうのだと思うのですが、

今日は欲して望む「欲望」のお話をしてみましょう。


お腹が空いているから体が命を紡ぐのに必要な食事を取ろうっというのは欲かしら?

体が必要としている栄養を感じてそれを食す行為は

感覚を大切に命を尊重している行為だと私は捉えています。

でも必要以上に満たされない何かの代わりに食品を貪る行為は

食事ではなく、快楽のためのもの。


睡眠も同じ。

物質である体を休める必要があるのに

思考で体を酷使してしまうのは、古の「苦行」を求めた僧たちと同じ「貪り」で

脳の中では快楽と同じような反応を示します。

体の必要以上に眠り続けるのも、「怠惰」に通じる「貪り」ですよね。


では性欲は?

日本ではなんだか後ろめたいもののように受け取られがちな性欲ですが

愛する人と肌をくっつけていたい、その人の空気感(気)を全身で感じたい

自分の気と相手の気を交流させたいっという衝動はとても素敵な愛の表現だと

私は受け取っています。

体を持って生きているから感じられる愛の体感のひとつ。

その結果として子孫という貴重な命を授かるもの。

これも貪りや拒絶となってしまうと欲し過ぎの「欲」は自己承認の表れだったり

否定の「欲」は自己否定の表れだったりと

その奥にある何かに気づくヒントだったりもすると思うのです。


その他にも健やかに毎日を過ごすために安全を感じたい欲

自分を理解するための社会生活を営む欲など

自分が心身を通して何を感じているのかを大切にできれば

バランスが取りやすいですよね。

だからこそ、感じるっということが大切なのだと思っております。


そしてここからはそうであって欲しい「願い」について。

よくお話いただくのが金銭的なもの、家族や友人関係

パートナーシップでの「願い」でしょうか。


このあたりも私はマイルドに表現して「願い」っと表すことが多いのですが

マイルド感を取り払うとシンプルに「欲」。笑


まずは自分以外の誰か。

それが家族だったりパートナーだったりと近しい存在の場合は

「願い」っという名の「欲」が現れやすいと思うのです。

幸せであって欲しい。

自分の大切にしていることを同じように大切に感じて欲しい。

自分が思うように相手にも自分を思っていてほしい。

これらは紛れもなく「欲」。

思ってはいけないわけではなく、そう「自分」が願っているのだと

自覚できるといいですよね。

その誰かの問題なのではなく、「自分」が問題として見ているだけ。

自分がその誰かにこうあって欲しいと「欲しいる」だけなのです。


そうであって欲しいと働きかけるというのはすでに

自分の「欲」「願い」をベースにコントロールをしようとしていることになります。

だから、その人のその考えや行動、思いなどはその人に任せる。

その分、自分の感じることを大切にするっというのが自分にできること。

そして、そこに「執着」をもし見つけたら手放してみる。

手放せそうになかったらそこから意識を離してみましょう。

意識を離すっというのはなかったことにするのではなく、

気になっているっというのはそのままに

そこに意識を向け続けないっということです。

例えるなら、隣の部屋でラジオがついていて

その音には気づいているけれど、聞き入っていないっといった具合。


近しい人たち以外では友人関係や、一緒にお仕事をしている人たちとの関係でしょうか。

ここにも「欲」って結構現れてきますよね。

その代表は「承認欲」。

自分が「自分とはこういう人だ」っと思っているだけ認めて欲しい。

でもこれって自分で自分を認められないから

誰かを通して「認めてもらう」っということを体験・確認したいだけなのです。

だから、誰かに認められるかではなく、自分が自分を認められたら

あっさりと薄れていく、シンプルなものなのですが

これが中々できないんですよねー。

自分で認められないから、何度も何度も誰かに認めてもらおうとする。

そして、自分よりも何か劣っているであろう誰かを見ては

あの人よりはマシだと自分を慰める必要が出てきて、

そういった誰かを見るとイライラしているようで、実は心の底でウキウキしてしまう.....

マイナスとプラスって思考で分けると反対のもののようで

脳の中では同じ刺激なのです。

わざわざイライラしたり落ち込んだりっという刺激を求めてしまうっという

トリックも相まっていつまでも「承認」を求めてその体験にしがみついてしまうのです。

ひゃーっ!恐ろしい。


これも「あー、こんな風に思っているんだなー」っと気づいたら手放す。

手放せない、受け入れられなければ、「まだまだ手放せないんだなー」っとそのままにして

隣のラジオ作戦。笑

なかったことにはせずに、でも意識を向け過ぎない。

繰り返すうちに、だんだんとスーッと執着がなくなる時がやってきます。

そのために気づき続けるっというだけ。

それで心が大きく育まれたその時に、そんな自分の思いも受け入れられるようになる。

受け入れられるとそれは「特別などうにかしなければいけない」何かでなくなって

どうでも良いもの=気にもならないものっとなって

それに囚われることがなくなります。

囚われることがないっということは、もう同じ経験を必要としなくなるのです。


経済的なことや、社会活動も同じです。

自分が思うように行かないっとどうにかしようとするっというのは

そこに「コントロール」をして自分がなんとかしなければいけないっという

刷り込みがあるのです。

「欲」「願い」を現実化するために自分が何かをしなければいけない。

そうしないと、願いを叶えれられないかもしれないという「恐れ」。

その「恐れ」が奥にあるから、コントロールを止めることができなくなっているのです。

そして思うように行かないとまだまだコントロールが足りないと

より自分を言い負かしてコントロールを重ねるスパイラル。


木が太陽の方に向かわないように自分でコントロールするでしょうか?

川がコントロールをして流れを変えようとするでしょうか?

太陽は東から登らないように何かに働きかけようとするかしら?


しないよね。

人間は思考をもとに、いろんな情報(世間の当たり前、誰かの価値観)を総動員して

それに沿ってどうにかしようとする。

そりゃー疲れるわー。


運命っという時は「命」が「運ばれる」っと書きます。

命は自然の理に任せておけばちゃんとその命があるがままに運ばれていくのです。

それをなんちゃらテクニックで歪めてしまうから余計にあるがままに運ばれていかない。

任せちゃえ!

あなたの「命」に宿ったものをそのまま自然に運んでもらうこと。

そうすると、1番スムーズに自分らしく「命」を生かすことができます。


生きるも死ぬもそれぞれの命に宿ったものをちゃんと運んでもらって

自然の中の大切な一部として役目を全うできるのです。

葉っぱ一枚この世から消えるだけで、世界は変わってしまうと言われています。

蝶々がブラジルで羽ばたいたその小さな空気の動きが

地球の反対に届く頃には風となっていると言われています。

必要のないものは何もなくて、全てが完璧なバランスの中にあるのです。

その完璧さはあなたの中にもあるのに、コントロールなんかして

誰かの「素敵」を求めてしまっていては、もったいない!


「欲」がいけないのではなくて、その「欲」に振り回されず気づいていましょう。

そして、まだこんなコントロールが自分の中にあるんだなっと笑っていれば大丈夫!

なんでも面白い宝探しのようなもの。

体がある間に楽しく「体験」っという宝物で存分に遊んでいたいものですね♡





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