「母」であるということ
- cocoyogayukari
- 7月16日
- 読了時間: 7分
今日は「まさに!」というポストがFBで流れてきたので、シェアさせていただきたいと思います。
マインドフルネスのクラスでも、「お母さん」である方が多くいらっしゃいます。そして、同時に私たちは、(両親がご存命かどうかは別として)誰かの『子』でもあります。
母であることで、無意識に子を「自分の所有」していると思いがちなのだと思うのです。「所有」という表現が、厳しく聞こえるようであれば、「自分の傘下」、「加護する対象」などと言い換えても良いかもしれません。
だからこそ、幸せを願うのですが、そこに『リスペクト(敬意)』が抜けてしまっていることが多く、そうすると、「子」の自分らしく生きるという真の意味での『自由』を奪ってしまうことになるのです。
これは、私たち誰もが“子ども”として経験してきたことかもしれません。
もしも自分にとっての、真の意味での『自由』を見失っていると感じるようであれば、『心の自立』が、私たちに『自由』を思い出させてくれます。
それは決して、親と縁を切るとかそんな意味ではなく、『心が自立』しているからこそ、人として、親という立場の、近しい人を大切にできるという事であり、思いやりを向けることができるのだと思うのです。
そんないつも私がお伝えしていることのエッセンスが万歳の。とっても素敵で、深い言葉をシェアします。ちょっと長いけれど、ぜひ読んでみてください。
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母親であることを
義務と考えてはいけない。
それを義務と思ったが最後、
何かが死に、
とてつもない価値を持つ
何かが消えてしまう。
その関係性が壊されてしまう。
それを祝福と捉えなさい。
子供は存在からの贈り物だ。
子供に敬意を払いなさい。
ただ愛情をかけるだけでなく、
敬意を払うのだ。
もし敬意を払わなければ、
愛は所有になってしまう。
敬意を払っていたら、
どうして所有することなど出来よう?
尊敬している相手を、
所有することは出来ない。
その考え自体が醜く、無礼だ。
人を所有することは、
人を物におとしめる行為だ。
そして、
ひとたび子供が
あなたの所有物になってしまうと、
あなたは重荷を背負うはめになる。
その時、
それは
果たさなければならない義務へと
変わってしまう。
母親達は、
自分達がどれだけ
大変なことをやってきたかと、
生涯話し続ける。
真の母親は、
自分がしたことについては
何一つ語らない。
しかも語らないというだけではない。
彼女は自分が
それをしたと感じることもない。
彼女はそれを楽しみ、
子供に対して感謝しているのだ。
それは子供の誕生だけではなく、
同時に母親の誕生でもある。
一方では子供の誕生だが、
もう一方で
あなたの母性が誕生を迎えているのだ。
子供はあなたを
劇的に変化させてしまった。
子供はあなたに何かを与えてくれた。
あなたはもはや同じ人間ではない。
女であることと、
母親であることには
途方もない違いがある。
だから愛しなさい。
敬意を払いなさい。
そして
子供の妨げにならないよう、
成長の手助けをしなさい。
それは一番初めから
気をつけなくてはならないことだ。
そして、いいかい。
自分の母親から学んだパターンを
繰り返してはならない。
そうなるのは自然なことだ。
なぜなら、
それがあなたの知っている
母親像であり、
自分の子供にも同じ行為を
繰り返すだろうからだ。
そして、
そうなるのはよくない。
全く新しく在りなさい。
自分の母親から学んだことは
全て忘れなさい。
新しいやり方で
子供に応えなさい。
愛を与えなさい。
だが決して枠組みを与えないこと。
愛を与えなさい。
だが決して人格を与えないこと。
愛を与えなさい。
だが自由は
手付かずのままにしておくこと。
愛することが、
子供の自由を
侵害することになってはいけない。
こんなにも小さな子供の自由を
考える人はどこにもいない。
だが、
それでは
いつになったら考えられるだろう?
明日になっても子供は小さいままだ。
そして、明後日になっても。
実のところ、
あなたは自分の子供が
自由を獲得できるような、
成長した人間であるとは
絶対に考えない。
絶対に。
なぜなら、
あなたと子供の年齢差は、
常に同じままだからだ。
その差が20歳あれば、
それはずっと20歳のままだ。
それならば
事の始めから子供に敬意を払い、
自由を与えなさい。
ときに子供が泣いたとしても、
心配し過ぎることはない。
ほんの少しの間、
一人で泣かせておきなさい。
いつも慌てて、
準備万端待ちかまえている
必要などない。
それは愛のように見えるが、
実際あなたは
子供の自由に干渉している。
子供は時々泣くことを
単純に楽しんでいる。
それが自分自身を表現する
唯一の方法だからだ。
わめき、泣き叫ぶ、
それが彼の言語だ。
泣かせておきなさい・・・
何も悪いことはない。
その子は世界と
関係しようとしているのだ。
あやしたり、
すぐに乳を与えたりしてはいけない。
空腹でない時に乳を与えるのは、
麻薬を与えるに等しい。
母親達は
乳を一つの麻薬として使う。
乳を飲み始めるやいなや、
子供は泣いていたことを忘れ、
眠りに落ちる。
それは心地よいものには違いないが、
あなたが
干渉をし始めたというしるしだ。
子供が本当に
乳を欲しがっているのでなければ、
放っておきなさい。
そうすれば
プライマル・セラピーなど
必要なくなるだろう。
プライマル・セラピーで
泣き叫んでいるのは、
幼児期に干渉され、
一度も泣き叫ぶことを
許されなかった人達だ。
子供にあらゆることを許し、
自分自身であることを
感じられるようにしてごらん。
子供の行く道から
少しずつ手を引いてごらん。
手を貸してやるのはいい。
だが育みながら、
子供がひとりでに成長するよう、
見守ってごらん。
時々、
子供が間違ったことを
やろうとしていると
感じた時でさえも、
あなたは判断を下す立場にはない。
あなたから見て
子供が間違ったことをしていたとしても、
それは単に
「あなたから見て」
というだけの話だ。
それはあなたの意見であって、
子供は間違っていないかもしれない。
その子はあなたの意見に従う為に、
この世に生を受けたのではない。
子供は無力だから、
あなたの意見を押し付けるのは
いともたやすいことだ。
子供の生死はあなたにかかっていて、
彼はあなたの言うことを
聞かなくてはならないからだ。
あなたが「止めなさい」
と言ったら、
どんなにそうしたいと思っていても
子供はそれを止めなくてはならない。
あなたに逆らうのは危険だからだ。
真の母親は、
自分の子供に大きな自由を与える。
たとえ母親の意に反することを
しようとしたとしても、
その子は自由を与えられる。
子供に
はっきり言っておきなさい。
「それは正しくないというのが
私の考えだけど、
お前がそれをするのは自由だよ」と。
子供に自分自身の経験を通して
学ばせなさい。
そうやって
人は真の成熟を迎える。
でなければ人々は幼稚なままだ。
年の数は増えるかもしれないが、
彼らの意識が成長することはない。
肉体的な年齢は
50歳かもしれないが、
頭の中は7歳で止まったままだ。
そうしたら
彼らは成長するのを止め、
ただ従うだけになる。
あなたの愛を与え、
経験を分かち合いなさい。
だが、
決して何も押し付けないこと。
そうすれば、
その子は素晴らしい人間に育つだろう。
Osho - Don’t Look Before You Leap

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