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無知の知

今まで知らないことを知った

今までとは違う価値観を知った


そして知ったつもりになってしまっては勿体無い!っといつも思うんです。


マインドフルネスや心をのことをお伝えしていると

みんな先をとっても急ぐなーっと感じます。

広い宇宙、それよりもっと広い心の世界、そんなに急いでどこへ行く?(笑)


もちろん、今まで色々と頑張ってきて

やっと光が見えたっとなったら

もう戻りたくないっという気持ちもわかる!

頑張ったんだよねー。


あれやこれやと、工夫をして、努力もして、自分を律したり励ましたり

それはそれはきっと頑張ってきたんだと思うのです。

だからこそ、もうあの苦しかった頃には戻りたくないっと思う気持ちもよくわかる。

やっと光がチラリと覗いたら、その先に急ぎたくなる気持ちもよーくわかるさー。

でもね、急ぐと体験を置き去りにして

思考の中で答えを見つけようとしちゃうのです。

体験したことのないことって思考の中にはないので

そこには答えはありません。

だから急いでも、急いだ分だけ、窮屈になってしまい

もっと思考を働かせてしまい、思考から離れられなくなってしまうんです。

そうしたら、「今ここ」からどんどん離れてしまう。


そんな時には一息つきましょう!

そして今ここで感じられる五感に戻ってきてみよう。

これが思考から離れる良い練習になるんです。

五感って今のものしか感じることはできません。

明日の感覚も、昨日の感覚も、自分以外の誰かの感覚も感じられないのです。

今ここの自分が感じているもの。

それが「今ここ」の目印です。

そこにあなたが見つけたい答えがなくても大丈夫。

「今ここ」の感覚が色濃くなっていけば本当はそこにあるのですが、

ただ、慣れていないから見えなくなっているだけなんです。


太陽が昇るその構造も、理由も、本当の意味では知らなくても

ちゃんと毎日太陽が昇るように、

自然の摂理はいつでも今ここで私たちの命の営みを支えています。

それを頭ではなく、理解できるのは、気づきが深まってからなんです。

だから、私たちにできるのは「今ここ」に

五感を通して気づき続けてみる練習を続けること。

それにより、気づきがちゃんと深まってくれます。


そして、気づきが深まってもそれがゴールではないことを知っておきましょう。

今日のタイトル「無知の知」。

まだ全てを理解しているわけではないんだっと知っていることができたら

少々迷子になっても自分を許すことができます。

そして、そんなの当たり前よねっと笑っていることができます。

「知らない」を遠ざけようとすることは

「知っている」への執着だったり、「知らない」への不安だったりするだけ。


「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」っと

ソクラテスは言いました。


その意味するところは、「等身大でいいじゃん!」じゃないかと私は思うんです。

そして、知らないことがあるってことはまだまだ知ることのできる「宝物」が

たくさんあるんだっということ。

まだ、遊べるぜ!っという楽しみ。


とは言っても、「等身大だもんねー」っと棚に上げて

気づきへの好奇心や興味を無くしてうと、

自分という命を生きることへの興味(自己肯定感)を見失ってしまい、

他の何かに価値を生み出そうとして、何かを追い求める世界。

それはどこまで行っても充足感、満ち足りた感覚、

これでいいんだっという感覚から程遠い、誰かに認められなくてはいけないっという

近代の社会の苦しさの中に身を置いてしまうんじゃないかしら。


幸せってどこかにあるんじゃなくて、今ここの自分の中にある。

知らないっと思っていることも、今ここの自分の中にある。

だからこそ、「知らない自分」を許せるように

心を広く育てていくプロセスもマインドフルネスでは大切なんだと思うのです。


「無知の知」、これでいいのだ!





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