自分を説得してる場合じゃない

ヨガやマインドフルネス、心の事を学ぶと

なるほど!そうやって心を整えたらいいんだっと理解します。


遠い昔から心の取り扱い説明書のように

そのメカニズムや整え方が書かれている聖典っと呼ばれたりする書物には

ちゃんと心を苦しめずに生きる術が書かれているんですよね。


それはヨガだけじゃあないし、仏教の古典だけでもなくて

西洋でも研究されていたりするので

それがどんなアプローチでも基本的なものってきっと同じ。


そういった心のことを学ぶと

「そうじゃなかったから、苦しかったんだ」っと理解してほっとできたりもします。

自分が悪いんじゃないし、不運なわけじゃなかった。

ただ物事の見方や捉え方を知らずにいただけだったのだとわかって

なんだか希望の光が見えたようなそんな経験をされる方って多いと思うのです。



そのほっとした事により充足感を感じます。

そして、感じているそれをまた思考としてインプットし

それが”知識”となってしまうと、次に何かあった時に

思考でその状態を作り出してしまいます。


「偽充足感」(きゃーっ。4つの漢字がなんだか恐ろしい!笑)


この”知識”が先行してしまうと

思考が「良い」状態になるようにと心を説得して「しかたない」を

偽の「これでいいんだ」へと変化させてしまうのです。

充足として心が感じているんだと勘違いしてしまう状態です。


でも本当の心がそう感じていないのでいつまでも「ちょっと微妙」な感覚がつきまとう。

これでいいはずなのに、なんだか心からスッキリしていなかったり

もっと何かを求めている感覚があったりします。


大きな揺るぎない安心があるという事は「体験」して初めて気がつけるんです。


余談になってしまうけど、ヨガの先生たちを見ていると

みんなの前ではニコニコと心穏やかな状態を表現してることが多いのだけど

話を聞くとこのなんだかちょっとの感覚に苦しんでいる方が多い。

そして何かが起こった時にごまかしが効かなくなってしまって

相談されることってよくあります。(ここ最近、立て続けだったりね)


残念ながら、体験不足が起こしてしまうこの現象。

知識を得て、何かの体験をしたらそれで安心してしまって

知識と自分のあり方に乖離がある。

八支則なんて、みんな知ってるだろうに

全然毎日の自分とは関係ないよって感じで生活してたり(笑)。

プラクティスを毎日の生活の中に持ち込んでいないから体験が不足してしまうのです。


ヨガや心のことはスタジオやリトリートだけで終わるものではありません。

それらは、毎日の生活に活かすためにあるもの。

そういった安全な場所で体験をするから

毎日の生活の中でそのあり方を大切にして、

自分の内側に気づき続け、自分が大切にしたいものを

ちゃんと大切にできるようになるんです。

その大切にしたいものを誰かや何かのために遠回しにしてしまうのって

宿題を駄々をこねて先延ばしにしてるのと同じ。


困りごとが起こった時や、苦しくなった時、

誰かがヒントを持ち込んだ時って

心の旅に戻っておいでっというタイミングなのだと思うのです。


学んだことって、条件が揃った時だけ実践するんじゃない。

誰でも大きな安心の中で、くつろいで、

ありのままの自分でいることができるようになるから、

毎日の中にある自分のあり方が自然とありのままになるまで

シンプルにプラクティスを繰り返そう。


条件がある中での自由じゃなくて

なんの条件もない、限りない自由を体で体験できると

少々ブレてしまっても、ちゃーんとありのままの自分に戻ってこれるのです。


偽の心で自分を説得してる場合じゃないさっ。笑

毎日の生活の中で自分に気づくプラクティスをやめないでね。

今のここに全部あるよ。





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