top of page

関わりあう生き物

日本では、「人に迷惑をかけないようにしなさい」っと躾けられることが多いです。

でも別の国では「人には迷惑をかけてしまうものだから、誰かの迷惑も嫌がらずに

引き受けてあげなさい」っと教えられます。


これは、どちらが正しいとか良いとかっというのではなく

住むところによって見る角度が違うよねっというお話です。


場所や時代によって価値観って違ってくるのは

きっともっとより良くしたいっという願いがそこにはあるんだと思うのです。

そして、自分の嫌な経験やこうであって欲しかったっというのが

ベースとなって、風土などが加わり同じ物事でも

違う方向から見るからこそ、全く逆のような模範ができます。


私個人はというと、人って誰も1人では生きていけない

関わり合って生存する生物だと思っています。

誰も1人ではお米さえ育てることはできない。

例え、種から育てたと言っても、耕したり刈り取ったりする鍬を作る人がいてくれたり

雨が降って日が照ってくれたりするから育てて刈り取ることができる。

それを誰かが作ってくれたお鍋を使って、飲んでも大丈夫に浄水された水があって

火がお米を炊いてくれる。

自然の恩恵と、誰かの仕事の上に成り立つものだと思うのです。


それを当たり前に思っているからこそ、

恩恵を受けていることをすっかり忘れてしまう。

人って生きてるだけで、酸素を消費するし二酸化炭素を出しちゃう。

食べるし排泄もするじゃない。笑

でもそれをしてるから、植物は光合成をできるし

誰かの生きる糧となる “仕事” に貢献もできる。

言い換えると、生きてるだけで役に立っているっということでもあると思うんです。


関わり合いの中にいるっということに気がつくと

自然と感謝も湧いてくるし、感謝を受け取ることもできるよね。


はじめ書いたように

「人に迷惑をかけないようにしなさい」

「人には迷惑をかけてしまうものだから、誰かの迷惑も嫌がらずに引き受けてあげなさい」

このどちらも、行きすぎてしまうときっと誰かが窮屈になってしまうから

程よく、迷惑をかけることもあるし、そう受け取ることもある。

だからこそ、自分で心地よくできることはやってみよう。

その中にきっと誰かからの恩恵を縁となって受け取っているんだろうなー

くらいの気持ちでいられるといいなーっと思っております。


要するに、あんまり堅苦しく考えすぎずに

でも無頓着なってしまわずに

良い塩梅でやっても良いんじゃない?って感じかしらね。


ありがとーっと気持ちよく言える

良いですよーっと心地よく引き受ける

どちらにも心の余裕があってこそですよね。


「迷惑」じゃなく「ご縁」へ昇格!

どのご縁もきっと何かの体験という宝物を受け取り合う。


関わりあう生き物、最高ではないですか!






◉ありのままの自分に戻る時間◉

mindful esalen:お問合せ / ご予約


◉心とからだのバランスをとり戻す◉

bottom of page