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安心の大切さ

最近書いている「こじらせスピさんシリーズ」書けば書くほど、結局「安心」がそこにあるかどうかっということなのだと思っております。


こじらせてしまったり、バランスを崩してしまったりの大きな要因となる「不安」、どんなものがあるかというと....


⚫︎将来の「不安」:まだここにないけれど、過去の経験(現実の事象ではなく、自分が受け取った不安や、恐れ、恥ずかしい思い、満たされなかった感情など)から、またその経験をしてしまうんじゃないかという「不安」

⚫︎過去の「不安」:『将来の「不安」』につながる経験をした時に、もっとこうしておけば、それが起こらなかったのではないだろうかという「後悔」が作られてしまう。またそこから、「自分」が悪かった、または「誰か」のせいだという思い込みが作られ、悪者や原因がどこかに存在しているかのように受け取り、その存在への「不安」

⚫︎承認されないかもしれないという「不安」:「こんな自分」では認められないのではないかという「不安」


大きくは、この3つに分類される「不安」がベースとなって、枝分かれし、そこからいろんな「不安」ができてしまう。


これがマルっと「安心」になると、どこにも問題はなく、ただ事象として出来事が起こっているだけだと分かるのですが、そこまでの道のりが人それぞれで、その道のり(プロセス)こそが大切だからこそ、マインドフルネスでは「気づき」に重きを置いているんですよね。


これらは、スピさんだけに起こる物ではなく、すべての人に対して同じです。


「不安」を見ないようにすることではなく、なるほど!ここにこんな「不安」があるんだと「気づく」こと。そしてそれを認めてみると、その「不安」は自分が想像しているよりも小さく、自分を苦しめる物ではないことがわかります。


なのですが、心の奥で見ないようにしながら、表層の思考であれやこれやと捏ねてしまい、対策を立てようとしたり、原因を解明しようとすればするほど、シンプルな「不安」の種が見当たらなくなってしまう。


ちょっと違うけど、ジュン菜って知ってますか?

ニュルっとしたゼリー状のものに包まれた水草です。あれをゼリーを押し除けて取ろうとしても、ニュルっと逃げてしまう。

そんな感じで、「不安」の種もニュルっと逃げてしまうんですよねー。

だけど、必死にその水草を取ろうとするんじゃなくて、ゼリーごとだと箸でも摘める...みたいな。(わかりやすいのか、わかりずらいのか、よくわかんない例え!笑)


なるべくシンプルに。

どんな「不安」があってもそれは自分を知っていく目印なだけ。それを責める必要もないし、好転させる必要もない。それがちゃんと腑に落ちると、「不安」は初めて手を離れて、自分らしく生きるという「伸び代」になってくれると思うのです。


私にもまだ反応があるし、その反応があるということが生きているということでもある。

反応がなくなってしまったら、どれほど毎日が退屈だろうと思いませんか?ドラマ性を誇張するんじゃなく、反応に気づいて味わうだけでもとっても面白い生きるというロールプレイゲーム。


遊ぶには、「不安」に巻き込まれてしまうのではなく、やっぱり「安心」があるといいと思うのですよ。


今ここに「安心」はありますか?

ふふふふふ







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