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信じるっということ

長年の相棒 mac さまが最近お疲れ模様。

キーボードの「T」とかも飛んじゃうし

zoomしてても唸ってるしっということで

新しい mac を手に入れまして!

なんて!なんて快適なの!

素晴らしい。

前のものよりモニターを大きいのをチョイスして大正解。

見やすいし、キーボードも以前の仕様のものになっていて好みの打ち心地。

日々の作業が快適って最高です!


さて、今日は何を書こうかなーっと思っておりましたところ

「信じる」っということについて書いてみようと思いつきまして。

最近クラスで何度か話す機会が続いた「信じる」っということについて

書いてみたいと思っております。


「信じる」って時には難しいよね。

ついつい先走って心配しちゃったり、

そうならないように思考を巡らせてしまって

自分以外の何かや誰かを信じられないとつい口うるさくなってしまう。

あるいは先に気を回して、失敗するチャンスを逃してしまう。


自分のことを信じられていないと

何かを始めることが難しくなったりもする。


心配ってなんだか優しい行為のように受け取っている方も多いと思うのですが

私は全然その反対だと思うのです。


まず自分以外の「誰か」を信じるということについて書いてみますね。

誰かを信じていない時、それは心配として感情の中に現れます。

その人が困らないように、迷惑をかけてしまわないように....

まだここで起こっていもいないことが頭の中を巡り、

そして言葉となって「こうした方がいい」「後で困るよ」などと口うるさくなってしまう。


日々こうやって言われた人はどうでしょう?

無意識の中に「⚪︎⚪︎でないと困ることになる」「⚪︎⚪︎が正解」っと

刷り込まれていきます。

そして、そうしないといけないっと思い込んでしまう。

または、そうできない自分には価値がないと勘違いしてしまう。

「自分は心配される人間なんだ」と自己評価を落としてしまうんです。


私のところでマインドフルネスを学びにいらしてくださる方の中には

子供の頃に親によく言われていた言葉から

自分を自由にできない方がいらっしゃいます。


もっとお母さんやお父さんにありのままを見て欲しかった。

もっとお母さんやお父さんに認めて欲しかった。

お母さんやお父さんのやり方でなくても、見守っていて欲しかった。

コントロールされているように感じていた。


などなど、例を挙げればキリがないくらい

みんな子供の頃のこうして欲しかったを強く握りしめていたりします。


同じことを繰り返していいの?


親は子供のことをとっても愛おしく感じているからこそ

そうやって子供にアドバイスをしたくなる生き物。

でもそれは親自身が何があっても大丈夫っということを知らずに

自分で頑張る世界の中で暮らしていたから、

苦労をしてほしくなくて、そうやってコミュニケーションをしていたかもしれない。


それが自分自身の苦しみにつながっていたのであれば

そのサイクル、自分で終わらせてみるチャレンジをしてはどうでしょう?


これは子育てだけに当てはまるのではなく、

お仕事で関わる人にも同じだし、仲間関係、友人関係でも同じ。


後で困るっという経験をして

誰かのサポートを受けながら乗り越えたら

それは失敗ではなく、学びの経験になります。

そうやって学ぶから、一人で何かにチャレンジできるようになるんですよね。


信じてるよっとそっぽを向いて関心をなくしてしまうのではなく

失敗したり、困ったらここにいるからねっと、優しく見守る。

あるいは、今はチャレンジできなくてもその時が来て

サポートが必要になったらいつでも言ってねっと

迷子になるスペースを尊重する。


それには、自分自身の心が大きく、柔らかく柔軟でなければできないと思うのです。


そう。

心配って相手が誰であれ、自分がそれをそのままにできないから起こってしまう。

自分に大きな包容力があれば、

失敗して悔しかったらここで泣け〜っと胸も貸してあげられる。

そして立ち上がっていく様子もまた見守ってあげられる。

原因は誰かではなく、自分。


では「心配されない」でコミュニケーションを取れているとどうでしょう?


エネルギー不足であっても

何かのきっかけで自身が不足してしまっていても、

誰かが自分を「行為」や「行動」で判断するのではなく

「存在」として信じてくれている。

それだけで、なんだか勇気が湧いてきそうじゃないですか?


その時、ちょっとエネルギーを浪費してしまって動けないっという時なんて

誰にでも起こることです。

失敗しちゃったーっと落ち込んで自信をなくしてしまうことだって

誰にだって起こること。


そんな時でも、こうしろあーしろと言わずに

信じて待っていてくれる人がいるだけで

なんだか力強いと思いませんか?


コミュニケータートレーニングっという

マインドフルネネスの伝え手になるトレーニングでは

まずここをお伝えしています。


みんなそれぞれのペースがあるし、道のりがある。

その道のりが自分が通ってきたものと違う場合もあるし

スピードもみんな違う。

それを見守り、そしてその人の「命」そのものを「存在」として信じることの大切さ。

それができるとみんな自然と自分の道を歩んでいく勇気が湧いてくるんですよね。



さて、自分以外の人に向かって「信じる」という行為がわかると

自分自身へも同じことが言えるっと気がつきます。


自分自身だって、自信がわかない時もあるだろうし

人にたくさん気を配っていたりするとエネルギー不足にもなる。

失敗しちゃったと自分を攻めてエネルギーを浪費しちゃう時もある。


そんな時は、誰かに優しさを向けるのと同じで

自分自身に優しさを向けてあげましょう。


自分のやった「行為」や「行動」、またはその「結果」に意識を向ける必要はなく

それは、ただの経験。

経験をできたのだからそれでよし!っと気分転換して

自分の「存在」を感じてみましょう。


自信がなくなったり、エネルギーが不足している時には

体をゆっくり感じるのがおすすめです。


体には命が宿っているからね!

自分の存在を物理的な体で感じていくと

自分という「存在」を感じられるようになってきます。

感じられるから、そこにそのまま置いて置けるようになる。

そのままにしても、「大丈夫」っという隙間の時間をたくさん体験すると

それが自己肯定感や自信につながって

好奇心が湧くようになってくるんだと思っています。


エネルギーが不足すると、好奇心さえ湧かないからね。

どうせわかってくれない.....どうせできっこない......

っとなるのは、ただのエネルギー不足。

ゆっくりゆっくり。

数日、数ヶ月、数年と、その人に合わせて充電していけば良いだけのことです。


信じるっということ。

少しヒントに繋がれば嬉しいです♡


信じるっということで少しづつ

自分の心に安心を満たしていこう!

溢れるくらいになるまで、慌てなくても大丈夫さ!




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