なぜかなー
アウトプットしてもいいやと言う思いと
さっきお皿を洗っていて、ふとブログに書こうと感じたので
ちょっと告白みたいなことを書こうかと思います。
私には1年半くらいかな。2年ほどは長くないと思う。
記憶がない期間があります。
息子の担任の先生が男性だったのか、女性だったのかもわからない。
スクールトリップに行ったであろうことは、
その年のくらいにあるのを情報として知っているけど、
どこに行ったのかも、どんな風に荷物を用意したのかも、何にも思い出せません。
私にとって息子の事は大切な事なので、
学校のことを全然思い出せないんだってわかった時は、
あー本当にこの期間の事は何も覚えてないんだなーっと実感した基準でもあります。
ヨガスクールで働いていた頃なのですが
イベントの開催やいろんなことがあったはず.....だけど
それももちろん全く覚えてない。
知り合いのセラピーを受けに通ったらしいけど
どこの駅だったのか、どんな内容だったのかも知らない。
ポッカリ空いたその時間は、正直怖いです。
頭が怖いっと考えたり、「こうこうこういうことだから怖い」って言葉にはできないけど
体が恐怖を感じる時と同じような反応をします。
自分ではどうにもできなかった時間
もがけばもがくほど苦しんだ時間
苦しみそのものの中にどっぷりとはまり、苦しみと一体化してしまい
どうすればいいのか、学んだことを総動員して真正面から向き合うことで
さらに泥沼にはまり込んだ時期だったのだと思います。
自分でなんとかしなくてはと
苦しみを握り締め、手放すということができなかった
エサレンの学びの中で
信頼して、委ねるということを繰り返し経験すること
理解しようとするのをやめて体感することで
やっとグッと握り締めていた手を緩めることができました
ヨガや瞑想は時に諸刃の刃になるんだよ
だから、深刻になってはいけない
思考に行って、自分の本質を見張ってはいけないよっと話してもらったことがあります。
今となっては、伝え手としてとても大切なことを学んだ時期だったと思います。
それまでは、子供の頃の瞑想実践や持って生まれた気質が
きっと大きく助けになってくれていて、
瞑想のやり方がわからないっという、わからないがわからない状態だったから。
今は「どうにもこうにもわからない」がわかります(笑)
あー、繋がらないってこういうことなんだという経験があるから。
なるほどなるほど、ひとつづつの経験の積み重ねなのだねと経験できました。
えへへへへ。
っと、少しこんな事もあったのよ的な告白まで
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