駄々こねちゃうよね

今日はちょっと雑談程度に読んでみてください。

ほんと、大したことない笑い話程度に!

って、いつもそんなに大層なことは書いていないのですが(笑)

今日はほんと、戯言です!


キリストとブッダ。

どちらも駄々をこねたのを知ってますか?


キリストは磔になる前夜、ゲッセマネという場所で全知全能の神

父なる神に祈りを捧げました。


(深刻さをなくしたいので、謎の大阪弁で!笑)

「あかん?磔、せなあかん?できたら、やめてほしいわー。

いや!もちろん、しーやーっていうねんやったらするけど。

任せるけどさー。どない?」っといった具合に


*私の子供時代の教会での説教の記憶をもとにしております。

信仰を卑しめるつもりは全くありませんので誤解のないようお願いします。


世界の救済ということの為

自分がやることを知っていてもその直前で苦しみ悶えたのです。


ブッダはどうでしょう。

ブッダは苦行に意味はないとみかぎり

菩提樹の元で瞑想をして悟ったと言われています。

そして、悟ったことを世界の人々に伝え教えるようにと

ブラフマンに言われた時

(ここも謎の大阪弁で!単に私が神妙になりたくないだけです。ご容赦を!)

「いやいや、めっちゃ頑張ってきて、やっとわかってんで!

まじ、やっと!こんなんみんなに言うても、誰がわかってくれるねーん」っといって

宇宙の理を伝えることなんでできないっと自分の悟ったことを

他の人々は理解するとは信じられなかったのです。


《私は特定の信仰を持っていませんが

それぞれの信仰を否定してはいません。

どちらかというと、私たちの周りの空気ひとつとっても、それは神の表れだろうし

それを理解するためや、自分の軸ができるまでは

信仰ってきっと支えになってくれる時もあるよねっと思っております。

だから、キリストもブッダも全然否定なんてしておりませんよ。

ちょっとした方便として読んでくださいませね。》




さてさて、今日なぜこんなことを書いているのかというと

みんな怖いさ!信じられないさ!っということ。


私なんて、そんなことわからない。

あるいは、自我を失ってしまいそうで怖い。

っというのが自覚している認識のその下

無意識の領域で感じてしまうことがあるんです。

それが、大きな智慧に触れようとしている時

変化への恐れや、自分なんてっという思いが

「あれれ?調子いいと思っていたのに、また信じられなくなった」っとか

「なんだかクヨクヨモードやモジモジモードに戻ってしまった」っ

とかっていうののカラクリ。


ものの理を知るって神様になることじゃないと思うんです。

だって私たちはその大いなるものの顕れだけど

今、体っという個を持っているから。

だから、大きな智慧に繋がり、その意識を認識しつつ

個という今の人生の経験を体験できれば

もうそれだけで良いのだと思うのです。


みんな一人一人違います。

それを役割だとかって大きな意味を持たせる必要なんてないんじゃない?

今の自分で意識的にいるだけでちゃんと経験を体験しているから。

それが大いなるものから生まれ出たってことなのだと思うのですよ。

あはははは。




 

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