迷子の体験談

たまには私の体験談を!っという気になったので

以前に禅病に片足を突っ込んでしまった時のことでも

書こうかという気になりまして。

ご興味のある方も少ないかと!っ思うのですが

書こうと感じたことは行動する派。

えへへへへ。


大きな智慧に自然とつながり

コミュニケーションができていた子供時代。

そしていろんな経験をして、全く繋がれなくなった時、

自分の努力で「真理」とやらをしかと理解してやろうじゃねーか!

このやろー!っ的な感じで、瞑想や心の動き、思考のカラクリを

見極めようと試みた結果、経験したのは禅病っと言われるものに

ちょろっと足を突っ込むっという落とし穴。

その時のテーラワーダの師に指摘されるまで

猪突猛進してしまったのです。


気づきの奥を理解したいっという欲に支配された状態。

大いなる智慧のその土台に「なぜ」っという

今となってはそこに「なぜ」なんてないのに

そのままにできずに、大いなる智慧を “体験” するのではなく

理解するために、さらに深く深く掘り続けておりました。

その奥の「理由」を知りたかったのです。


でもそれは、知るのではなく体験することだった。

えへっ。

だから禅などでは、「◯◯にあらず」っとしか表現できなんですよね。


でも当時の私はもう「真理」に正面勝負!

臨戦体制ですからね!

気づきを体験しても、かかってこいや真理のやろー!っという感じ。

その後ろになんか隠してんだろー!カラクリあんだろー!

見せろよーーーー!っと、おおらかに包み込む体験そのものを

完全に首根っこ捉えるがごとく、寝ている時間以外は真理に挑戦状を

突きつけ続けておりました。

いや、きっと寝ていてもその状態だったかも!笑

ごめんよ。真理ちゃん。大いなる智慧っち。

そんな私と仲良くしてくれてありがとー!


そして、自分がとっている「臨戦体制」を受け入れ

方向転換を無事に終え、ただ見るだけに。

そうすると、体験だけがそこに残り、自分の心の成長に呼応するように

体験が深まり、委ね切るっということを体験し

「無知」を受け入れたら「知る」っという道へとつながりました。


だから、マインドフルネスでもその先を歩もうとする時にも

「原因や理由を探しにいかにで」っとお伝えしています。

だって、体験を邪魔しちゃうんだもん。

それは本当に言葉を超えているんです。

でも自分のジレンマや上手くいかない何かに早く気づきたい時って

探しにいっちゃうじゃん。

今自分が感じているその感覚を気づいていれば

それでいいのですよ。ほんと。

でも、気づいている風じゃない、その塩梅。

そこを伝えるのもまた言葉じゃない。

だから、体験を重ねるしかないんですよねー。


迷路って、ときどき行き止まりの所があったりするじゃない?

理由を探しにいくっというのは、その突き当たりに行く感じ。

先っぽにぷっくら膨らんですスペースがあって、そこで行き止まりー。

そしたらまた戻ってきて、違う道を行けばいいだけ。


そして、迷路が上から見えたら

それは体験するだけのものだったとわかるのです。

そして私たちはその迷路を作った誰かでもなく

迷路を迷わなきゃいけない存在でもなく、ただ迷路があるだけ。


そこには、理由も原因もカルマも学びも何もない。

ただそこに「ある」があるだけ、「ない」がないだけ。

全ては「無」で「有」で「全」。






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