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西洋と東洋 「答え」のあり方

更新日:10 時間前

随分前に読んだ本で見かけた記憶があるのですが、「西洋哲学は答えがあることが前提でそこに向かってどこまでも追い求めていく」のに対して「東洋哲学は答えがないことが前提っというか、答えは言葉や概念ではなく、体験の中にしかない」となっているというのです。


面白くない?


私たちは、知らない間にかなり西洋の価値観が持ち込まれていると思うのです。いつの時代か、急激に進んだ西洋化。それによって学校教育の制度や価値観などもガラリと変わって、きっと日本のほとんどが中流だという社会になれたのはこの影響も大きく、「豊かなことが正解だ」みたいな(笑)。私なんて昭和生まれの50代はこの影響、めちゃくちゃ受けた時代だと思うのです。


さてさて、そうなってくると、今の日本で “感じるマインドフルネス” をお伝えしていて感じるのが「絶対的な正解がある」という前提。そしてそれは「頑張って追い求めるものだ」となっており、多くの方の中にその前提が潜んでしまっているように感じます。これはこの西洋的価値観の影響かもしれないなと思っているのです。


どこかにあるであろうと思い込んでいる「絶対的な正解」や「正しい答え」。きっとあると思い込んでいるから、それが見つかるまで安心できない、またはわかっていない自分を認めることができないと思い込んでしまう。

真っ白な「正解」を求めて彷徨い、外へ外へと、「正解」への道に辿り着くにはどうするればいいのかという情報を求めて自分を置き去りにしてしまう。思考を駆使し、どんどん心から離れてしまうことが多くなっているのではないかしら。これってどこかにいるであろう青い鳥を求めているのと同じように感じませんか?



アンミカさんが「白には200種類あんねんで」と言っているように(笑)、正解と思っている「白」だって色々ある。不正解の「黒」はダメだからと求めてしまう「正解」という「真っ白」。それだって、色々な種類があるんです。


そして、日本には、曖昧な色を表現できる色の名前もたくさんあります。すみれ色・藤色・藍色・葵色・青紫・若紫..... 紫だけでも、もっとある。黄色だと、カラシ色・クチナシ色・レモン色・山吹色・黄金色・黄はだ色....。

そのグラデーションをそのままに、繊細に見ることができるのが私たちの文化の情趣溢れた豊かな物の見方なのではないかしら、と思うのです。


自分の心は今「正解の状態ではない」、「私は間違っている」と黒にしてしまう必要なんてどこにもなくて、ありのままに見てみると、「私の心は今若草色とクチナシ色のグラデーションみたいな感じ」みたいに見れると、とっても素敵じゃないですか?


だからこそ、マインドフルネスでは「今この瞬間を価値判断を持ち込まずにありのままに気づいてみましょう」というプラクティスをします。


どこかに「答え」や「正解」があるのではなく、今この瞬間の自分の中に「体験への気づき」あります。そしてそれがいつか腑に落ちるように、「これでいいのだ」という体感へと導いてくれるのです。


どこかにあるであろうと想定している「答え」や「正解」から離れてみよう。そして「今この瞬間の自分の体験」と一緒にいてみよう。それだけでいいのだと思います。


さて、今どんな感じがしていますか?♡





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