瞑想をお伝えしていると、入門の皆さんのフィードバックによく見られるのが
「頭が空っぽになりました」とか「静かな時間を過ごしました」など。
そして時々、強者的な「無になりました」なんてのも伺うことがあります。
そうよね。
今までは外へ意識が向かうのが当たり前になってして
自分の呼吸なんて味わう隙もなかったのかもしれない。
そうすると、思考の動きや、興味の対象が目まぐるしく変わる忙しさから離れることができるだけでも、とっても穏やかに感じられます。
瞑想のよいところでもありますよねー。
そして、少し慣れてくると、今度は反対に「今日も雑念が!」とか「思考ばかりが動いていて瞑想的な時間を過ごせなかった」と残念そうなフィードバックが見え隠れし始めます。
これは ”慣れてきた” というのも一つの要因。
初めは ”慣れて” いないことなので、しっかりと呼吸や身体感覚、または集中の目印(対象)に注意を向けやすいのだと思います。
それが練習を続けるうちに、注意を何かに向けるということに ”慣れて” くる。言い換えると ”慣れる” までちゃんと練習を続けられたということです。
それだけでもすごくない?
1回や2回の練習ではなく、根気良く続けられたんです。
もうそこで、自分を褒めてあげたらいいよね。
さて、 ”慣れて” きたら、どうして思考が働いて集中できないように感じてしまうのかということ。それは、「気づく力」が育まれてきたからだと私は思うのです。
今までは「気づく力」がついていなくて、思考が動いていること、自分が考え事をしていることに「気づく」ことができなかった。
でも ”慣れる” まで練習をしたからこそ、「気づく力」が養われ、繊細に動く思考や感情の変化に気がつけるようになったのです。
今までも動いていた思考。今も動いている思考。
そこに違いはないのだけど、「気づく」ことができるようになった。
それが、練習を続けて「せっかくこんなに練習したのに、思考ばっかり!」となるカラクリなんじゃないかしら?
だからこそ、もう初心者じゃなくなってしまった方達こそ「思考ばっかり!」というトラップにハマって、自分を認められなくなるという経験をしちゃうのかもしれません。
「思考が動く」ということは、そこに気掛かりがあるということ。
気になる何か。自分ではもう解決したと認識していても、まだ心のどこかに引っかかっていたり、消化しきれていない何か。
それがあるからこそ、繰り返し思考として頭の中にフッと湧いてくる。
対応は簡単!
「あーそんなことが気になっているんだね」と気になっていることを解決するのではなく、答えを導き出そうとせず、対応しないで、「気になっていることを受け入れ、そのままにして、今の目印になるものに戻る」です。
だって気になるんだもん。しょうがないよー。
それを思考で解決したり、答えを導きださそうとしてできないから、思考の奥深くに潜り、それが蓄積されてしまっているんです。
またそこに思考を重ねたところで、ただただ思考がつながるだけ。そしてどんどんこじらせてしまう。
大切なのは、「気になっている」ということに気づけたということ。
瞑想をして、静かな時間を持っていなかったら、気づけなかった「気掛かり」に気がつけた。それだけでいいんです。
その「気掛かり」をなかったことにするから、似たような経験がくると過剰反応してしまったり、他人が自分のどちらが悪かったのか....などという2極論に繋がってしまう。
そんな世界観から離れるには「自分が気掛かりになっている」ということに気づくことから始まります。
だからこそ、気づけたってすごいことなのです。
気づけたら、「なるほど私はこれが気掛かりなんだね」と認めちゃう。受け入れちゃう。そしてそこに思考をつなげず、深刻にならず、「人間だもんねー」くらいに受け流しちゃう。
今、深刻になってしまうのは、「自分を大切にしたい」という願いがあるからかもしれません。それは、瞑想を始めようとした時に「自分を大切にしたい」という願ったその思いと同じ。自分への慈しみ。でもその慈しみが過ぎてしまうと、焦りがあったり、自分への叱咤隣、深刻になってしまう。頑張りすぎないでいいのよー。
慈しみは慈しみのまま、自分へ向けてあげましょう♡
初心者の頃に「気づく」ことができなかった「思考」に気づけるようになったように、練習を積み重ねていけば、必ずその「思考」の奥にも「気づける」ようになります。
それがみんながよくいう「気づきが起こる」です。
「あー、なるほどそういうことだったのか」という理解が内側からやってきます。
その時まで、「あーこれが気なるのね」と思考となり、思い浮かんでくるということ自体を迎え入れてあげたらいいよね。
そして、思考が浮かぶからと5分やそこらで今日の練習おしまい!っとしてしまわず、そのまま座ってみましょう。
思考って、それを追いかけないでいると、静かになる時がやってきます。
それまで待つというのも大切だったりするのです。
自分の気づきのタイミングが来るまで、深刻にならず、待ってみる。
ひろーい湖で、釣り糸をたらし、のんびりと釣れる時もあるし釣れない時もあるよねー。でも釣りをしていることが楽しいからそれでいいのよーっくらいの感じで、ひろーい心の世界に釣り糸をたらしてみよう。
垂らさなかったら、釣れないよ。
◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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