愛のちからって本当にすごいと思うのです。
愛情でなくて、「愛」ね。
条件がついている「愛情」、個としての限定的で利己的(決して悪いものではなく違いとして)な「愛情」に対して、無条件の「愛」。
それでもいいし、これでもいい。
そこにあるだけで十分だと知っている「愛」。
見返りを必要としない、受け取っても受け取らなくてもいい「愛」。
それに触れると、もう底知れない「安心感」を感じてしまう。
それを昔の人は観音菩薩のように具現化してみようとしたのではないかなーと最近感じます。
自分自身の中にこの「愛」を感じることができたら、もう幸せになるための条件を一つ一つコレクションしなくてもずっと安心感と共にいられるようになるんだと思うものです。
幸せになるには「必要」と思っていることはないかしら?
例えば...
・学歴
・家族構成
・パートナーシップ
・肩書き
・収入
・資産
・賞賛
これらのことがあるときっと幸せになれるはずという自分の中の、幸せへの「大切なもの(条件)」。そして大切だからこそ、その為に頑張ったり、なくなってしまわないように握りしめたりしていないかしら?
その一つ一つを手放した時、心の奥に残るのが「無条件の愛」だったりすると思うのです。
手放すっというと
「え?仕事辞めなきゃダメなの?」
「家族と縁を切らなきゃダメなの?」
「お金欲しがったらたらダメなの?」
「お家売らなきゃ???」
というのは、違います!(断言ですよー。ここ勘違いしちゃう人が多いから!笑)
持っている、持ってないという物質的なことではなくてですねー。
それがあるから「幸せになれる」という価値観、思い込みから自由になることです。
でもさ、みんなそれを理解しているようで、びっくりするほど握りしめていたりするのですよ。特に心のことを学び初めの頃って、自分の心に気がついているようで、気がつけない。
今まで、自分の心よりも思考を優先し、それを「自分はこう思っている」と思い込んでいる状態が長ければ長いほど、自分の本当の心に気がつけなくなっていたりします。
思考で学び、思考で自分の心をコントロールしようと頑張った人ほど、自分の心とのコミュニケーションができ辛くなっている。
でも、できないわけではありません。
根気強く、どんな思いが湧いてきても大丈夫だよと、自分の心の反応に慈しみや思いやりを向け続けることで、少しづつ、「あー、こんな風に感じていたんだな」と感じることができるようになってきます。
だからこそ、心を見張ったり、こうでなくてはいけないと強制したり、悪いところを見つけようと目を光らせるのではなく、軽やかな好奇心、優しい思いやりを向けてあげる時間を持つことが大切。
そして同時に、気がつけていなくても、ポイっとしてみるゲームのような時間を持ってみるのもおすすめです。
↑これは、コスモフルネスの瞑想友の会での実践でも時々みんなでやってみるのですが、そうやって実際にゲームのようにポイっとすると、自分の心にキュッと反応を感じることができる時があります。
それは、自分が知らない間に握りしめている「幸せへの条件」。
それに気がつけるから、執着を手放せる。
手放すから、軽やかにそれがここにあることへの感謝も素直に感じられる。
(執着が手放せるとは、本当になくなっても、「仕方ないね」と見送れる状態のこと)
その状態を現実世界でやめなくちゃいけないのではなく、「執着を手放す」です。この違い、わかり辛いと思うのですが、本当に大きく違うんです。
執着がなくなると、必要なものは全部あるとわかることができる。わかるからより安心できるし、安心するから、余計に必要なものが必要なだけ巡ってくるという自然のサイクルのままにできるようになるのです。
安心って、安心すればするほど、安心できる環境に恵まれるようになる。
その名も「安心雪だるま方式」だと思うのですよ。笑
でも、思考で「安心」を作ってしまうと、その奥に「安心したらこうなるはず...」という目的(目標)ができている状態。それは「今、安心できていないから、安心が必要」という奥底にある本当の思いが隠れています。そして「今安心できない」に蓋をしているから、なんだかホッとできない状況が続いてしまい、しっくりこないなーが続いたり、膨らんでしまう「逆安心雪だるま」。(←もう何のこっちゃな表現でごめんなさい。笑)
何を握りしめている?
どんな不安がある?
素直に自分の中にあるものに気づくこと、「執着に気づく」ことから始めてみることをおすすめしますよ。
それが、無条件の「愛」への一歩♡
小さな一歩をコツコツと!

◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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