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cocoyogayukari

意識はどこに向いている?

内側に向けているようで

実は外に意識が向いてしまっていることってあると思うんです。


瞑想や、ヨガ、そしてボディワークのエサレンやクラニオなど

私が皆さんにシェアしているのはその辺りのアプローチですが

どれも内側を感じるもの。

なのですが、内側を感じてみる時間をとっているようで

意識が外に向いてしまっているなーっと感じることがあります。


見たり、聞いたりした体験。

それを知らず知らずの内に「取りに行く」っと私は表現しますが

本当の内側から湧き上がったものではないものを

垣間見た体験がきっかけとなったり、先を急ぐがあまり思考で作り上げたりしてしまう。

残念ながら、そんな姿を目にすることがあります。


私がもっと、場を整えられたらいいのだろうか?

っと自分ごととして受け取ってしまうことが、まだあります。

ボディワークの諸先輩方と話しても

それはその受け取り手のことなのでどうしようもないっと

やはり同じ見解。

そう。基本はそう感じているのですが、

時々ひょっこりまだ私にできることがあるような気がして

まだまだ精進しようっと思ってしまうのです。


さてさて、そんな思考が起こしてしまう現象。

あるいは、まだ自分がそのプロセスにないのに気づこうと急いでしまう現象。

それらは、内側に真摯に向き合っているようで

実は思考や外側に意識が向いているのではないかしら?っと思います。


それが悪いことな訳ではなし、そんなプロセスを通ることで

本当の体験が起こった時に初めて、

あれは自我の欲が作り上げていたものだっと気づいたり

急いでいたからこそ、思考が邪魔をしてしまっていたのだと気づく

通り過ぎて初めて気づけるものだとも思います。

だから、存分に体験したい間は体験したらいい。


でも、本当の体験に近づきたいっと感じているのであれば

先入観をぽいっと捨ててしまうこと。

このプラクティスを続けるとこんな風になれるんだという願いも

まるっと捨ててしまうこと。

そしてありのままに自分が感じていることだけに気づき続ける

っという他ないんですよね。

今までとは違う気づきがあっても、真摯に気づく。

なくてもそのまま「ない」っということを気づく。

そして「ない」っというのは「ある」を求めているのだという

願いに気づく。

どんなものもありのまま。


「こんな体験しました」っという表明がしたいっというのが根っこにあったり、

その体験の奥に「こんな原因がありました」っというのを

早く見つけたいっというのがある場合もあるでしょう。


そんなのどんどこ体験していくと、大したことないんです。

だって、全ての体験がそれらの気づきの体験と同じだけ

素敵で奇跡的なものだから。

そこに優劣をつけていたり、正解不正解で分けている

二極的な捉え方がそこにはあるんだと感じます。

でもどれも道。ただのプロセスです。


体験を取りに行っているなっと感じたり、

気づきたがっているぞ自分っと気づいたら、今に戻ってきましょう。

地に足をつけてこそ、プロセスは進みます。


そして、体験を作り上げている場に私が関わっていると

私の中に「残念だ」っという反応がまだ起こることがあるのも事実。

だからこそ、それがもっと深い気づきと共に気にもならなくなるまで

私も精進いたします♡





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