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意図を持って、意図をせず

更新日:5月27日

禅問答かい?っというタイトルから始まりました。(笑)

長くこのことをお伝えしているのですが、なかなか伝わりづらいことなのかも知れない...と今日はブログにも書いてみることにいたします。


少し前の「触れる講座」でも、コミュニケータートレーニングというマインドフルネスの伝え手になる講座でも大切にお伝えしているところでもあります。


なぜなら、体に触れるエサレンやクラニオ、そして心に触れるマインドフルネスや瞑想のどちらにも共通しているから。

そして、誰か受け手という相手がいる場合も対してもそうだし、自分の在り方にも同じです。結局のところ、いつでもどんな時も大切になるのが「意図を持って、意図をせず」なのかも知れません。うふふ。


では早速、前半の「意図を持って」からいってみましょう!

触れる場合を例にした方が説明しやすいので、まずは触れる時のお話から始めてみますね。


クライアントのお体に触れる時、背術者は何に触れようとしているのかを自分で自覚できるといいなと思うのです。

筋肉にアプローチしたいと思っているのか、骨格にアプローチしたいのか、血液やリンパ液なのか、髄液なのか、はたまた気の流れやプラーナなのか、気そのものなのか、命という存在なのか.....

学んだ流派や種類によっても違ってくると思うし、自分が普段大切に感じていることによっても違います。

もちろん触れるってそれだけで、心地よいし、それだけでエネルギーが循環します。


だから、意図を持っていなくても、起こることもあるでしょう。普段の生活の中で、ご自身の在り方を整えようと普段していたら、そこへのアプローチが起こるだろうし、筋骨格を意識することが多ければ、そこへ意識は向かいます。


でもこれが、自分が何にアプローチしようとしているのか、“ご自身が自覚する”=“意図を持つ”とより明確にそこにアプローチが届きやすくなります。


例えば、何かをぼんやりみている時よりも、ここを見ようと焦点を当てると、それがより観えやすくなるようなそんなイメージです。



触れるという行為は、誰か受け取ってくれるクライアントという「相手」がいます。マインドフルネスや瞑想では、これを自分自身になります。


自分がどのゾーンを大切に毎日の生活を送りたいのか。

物質(お金や物)なのか、物事に向き合う考え方なのか、自分そのものの在り方なのか。ここを大切に人生を送りたいと“ご自身が自覚する”=“意図を持つ”。自分で自覚的に決めるから、そこに焦点があたります。


触れる場合も、瞑想的な在り方の場合も同じですが、どのゾーンが良いとか、高次であるとか、どのゾーンの方が優れているとかではありません。

好み!だと思います。笑

そしてどのゾーンもおろそかにする物ではないと思っています。


体を放っておいて、気の流れやエネルギーだけアプローチすればいいのではないし、気を放っておいて、体だけケアすれば良いという物ではないように、物質をおろそかにして、在り方だけで生きれば良いのでもなく、在り方を放っておいて、物質だけを充実させようとする物ではない。


ご自身がどのゾーンを大切にしたいかは、ご自身で決めていい。そしてそれを自覚的に選べるというのが大切なのだと思うのです。




そして後半の「意図をせず」。


これはとってもシンプル。“コントロールをしようとしない” です。

自分がどこにフォーカス(視点)を当てるかを決めたら、あとは信頼して、観察してみます。


物事って、動かないものは一つもありません。常に変化し続けています。

1分って、同じ状態のようで、時計の秒針はくるりと一周回っています。そして長針は少しだけ動いている、そうすると観察がざっくりになっていると長針が動いていることに気が付きずらい。もっというと短針はほんのちょーっとだけ動いている。だから観察が大雑把だと、まるで変化がないように感じてしまう。

でもちゃんと観察してると、秒針はくるりと一周回っています。

その様子を見ておければそれだけで、ちょうど良いくらいに回っているよねっという感じ。


あれれ?例え話が、余計にわかりづらくしてる?笑


またしてもエサレンやクラニオでの場合だと、「ここに触れよう」と意図を持って触れ、信頼して開け放ち、ただ観察していると、体はいい塩梅のバランスのところに自ら調整されていきます。


「ここが悪いからこんな風に緩めよう!」などとコントロールをしようとしても、その時に緩んだとしても、その後すぐに元のアンバランスに戻ってしまう。

”背術者の思いやジャッジでコントロールをしない” と言われるのはこの後半の「意図をせず」を表していると思うのです。


瞑想やマインドフルネスで言うと、「こんな風に考えたらいいんだな」と、自然と起こる自分の反応に気づこうとせず、新しい考え方(ものを見る物差し)で自分の心をコントロールしようとすると「意図をせず」でなくなってしまいます。


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「意図を持って、意図をせず」本来はとってもシンプルなんだけど、お話でお伝えするもの難しいけど、こうやって文字にするのも難しい!笑

なんだかちょっと、消化不良気味の説明になってしまいました。

最後まで読んでくださった方、ごめんなさい!!えへへ。

また遠からずリベンジいたします♡






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