思考から離れる?


思考から離れよう!っといつもお話ししています。

じゃあぼんやりしてればいいのねって言われると

そうでもあるし、そうじゃない。


まず、思考がいっぱいになっている状態であれば

ぼんやりするのっていいよね!

思考によって「しなければいけない」「こうでなければいけない」っと

自分を追い立てているようであれば

それは“気”の無駄遣いになってしまし、苦しくもなる。

そんな思考を繰り返しているくらいなら、ぼんやりが脳を休めてくれる

とってもよい時間になると思うのです。

それから、「誰か」や「過去」「未来」っといった

今ここの自分でない事柄で心や思考がいっぱいになっている時も同じで

それは今ここの自分ではない何かに“気”を貪らせている状態。

それもぼんやりすることが心を穏やかにしてくれると思う。


だから、その時のその人にとってはとても大切な時間かもしれない。

ぼんやりすることも時にはいいよね。


さてさて、そうやって心が少し穏やかさを取り戻したら

今度はぼんやりから一歩進んで「気づき」を伴ってみるといいと思うのです。

そうすると「今ここ」を感じる意識に明晰さが生まれます。

自分の奥底で感じていること

自分の望み、自分がどう在りたいか

自分という存在とは何かっといったことが

知識ではなく感覚として内側から気づいていくには

この明晰さが必要だと思っています。

だって、明晰じゃなくぼんやりと気づいていたって

そんなの信じられなくて、日常のあれやこれやに埋もれてしまうよね。



ぼんやりっという経験を通して緩めることができるから

自分を見張ることをせず「気づく」っというステップにいけるんだよね。

でもぼんやりだけで終わってしまっていたら

何か心に負担になることが起こった時に

その事柄に飲み込まれてしまう。

だから、ちゃんと時が来れば次のステップ「気づきを伴う」っというもの

に進むことをお勧めしますよ。


さてさて、そうやっって「ぼんやり経験」と「気づき経験」を積み重ねていくと

今度はまたぼんやりっぽいものに戻ります。

それが「委ねる」。


思考でいっぱいで自分を型に収めて頑張っている状態では

委ねているつもりで、思考のコントロールの中で擬似「委ねる」をやっちゃう。

時にはそれが誰かや何か任せになって、自分を人頼みにしちゃったり

こうすればこうなるっ的なテクニック攻略をしようとする。

でもそれは知識や情報をベースにした「思考」でしょ?

「思考」だから、「心」が伴っていないのですよ。

その乖離が自分を余計に苦しくしてしまうのです。


だからしっかりと緩めて、自分の内側に気づき

自分っという命の顕れそのもので在る上で

その命を木が自然と芽吹いて育ち、枯れていくように

自然のままに委ねることができるようになるんだと思っています。


そのプロセスはどれも一足飛びにはいかないかもしれない。

でもそのプロセスを体験できていることが喜びなのです。


いつまでもどこまでも

自分を知り、委ねるプラクティスは続きます。

それが体っというものを持って「個」として命を表している私たちが経験できる

ご褒美のようなもの。

生きるって楽しいよね。



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