私が数年学ばせていただいたテーラワーダ仏教には戒律
そして長く触れているヨガには型があります。
心が育つまではそれらは自分を守ってくれる大きな助けに
そしてある程度のプロセスまで心が育つと
あっても自分を縛るものではなくて、なくても自分軸はぶれないっといった具合に
それほど重要でなくなるのだと思うのです。
ちょっと詳しく書いてみますね。
体を使うヨガ。
形にだけ意識がいくと、
こんなポーズしてみたい!
お隣の人くらい柔らかくなりたい!
うわー気持ちいい!
っといった感じで無防備に体を使っていると怪我に繋がったりもします。
だから、形をどんな風に大切にしたら体に優しく
そして日常で体に不快感を感じないように整えられるのかを
繰り返し練習するのだと思っています。
そこから、体や呼吸を通して
あっちへいったりこっちへ行ったりしている思考に気づく
心の気づきへとプロセスは進みます。
こんな風に自分の体の中を気が流れているんだなっなどといった
身体感覚を通して今を感じるという経験も積んでいきますよね。
今、体を持っているからこそ感じられる経験。
その感覚と心は繋がっていて、心と魂も繋がっているから。
そのプロセスは大切なものなのだと思います。
そしてテーラワーダ。
こちらには言葉になった戒律があります。
人によっては戒律は自分を縛るなんだか息苦しいものに感じられるかもしれませんが
これって実は自分軸が育つまでは自分の心を守ってくれるとても優しいものなのです。
例えば、嘘はついちゃいけないよっといったもの。
嘘をつくっということは、その場をうまく収めているようで
それにまつわる色々が自分の中で不調和を生み
関係ないことに思われることにまで影響を与えたりして
瞑想どころではなくなってしまう。
なんなら、じわりじわりと心を苦しめてしまいます。
殺生をしませんっというのも、感謝や慈しみの心を育んでくれます。
そして、心が十分に育つと嘘なんてつかないし、ものも盗まない
自分や他の誰かを同様に大切にすることができるようになり
穏やかにさらに自分の心を育てることに意識を向け
必要であれば誰かに手を差し伸べることもできるのだと思います。
プロセスを経て、心を育てる経験をし
自分自身と周りの世界に安心ができるようになったら
自分を誰かにする必要がなりくなります。
そしてそのまんまの自分でいられる信頼感が湧いてきます。
そこまでくるともう型にこだわる必要もなく
戒律の助けを借りる必要もなくなってくるのではないでしょうか。
あってもいい。
だって嘘なんてつかないもん。
だからそれはあまりにも自然なもの。
誰かが言葉にする必要もなく、嘘なんてつかないものさっといった具合。
それまでは、型も戒律も自分の心を育てるための
優しい助けなのだと思います。
写真は、タイでのお寺滞在中
朝焼けとともに行っていた托鉢の
途中でとったもの。
◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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