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マインドフルネスの2つのアプローチ

マインドフルネスの実践って、2つのアプローチがあると思うのです。

ひとつは瞑想実践。そしてもうひとつは毎日の生活の中で、自分に気づく実践。

片方だけではなくて、この2つがあってこそのマインドフルネス。


瞑想だけだと何がいけないの?っというと、もちろん瞑想だけでもOK!

なんだけど、それだともったいないよねーと思うのです。


「瞑想実践」という時間を作ることで、日常の中で自分以外の何かや、過去・未来に向かいやすい意識を、「今の自分」に戻してくるというところから始まると思うのです。

もちろん、実践の積み重ねによって「瞑想状態」より深い瞑想が起こるようになるのですが、初心者の間はそんな「瞑想状態」を作ろううとするのではなく、まずは「イマココの自分」に興味や関心を向けながら、呼吸や五感など、今この瞬間という「目印」を持つことによって、今の自分に戻ってくる練習から始めます。


この「今この瞬間の自分」に戻ってくるから、いつもは暴走しやすい「思考」から少し距離があき、ニュートラルに自分の心や思考に気づけるようになる。脳のトレーニングでもあります。脳や思考って、習慣によって使い方に偏りがあるものなんです。

右利きの人は左手よりも器用だったたり、筋肉のつき方も左右で違ったりするでしょ?

それと同じで、使い方の習慣によって、脳の働き、思考のめぐり方にも「癖」があるものです。


瞑想実践を続けることで、「今ここにないもの」、「自分が気になっていること(執着)」に気がつけるようになり、そこから離れて「今」に戻る練習が積み重なると、物事をニュートラルに見れるようになってくる。思考の囚われから自由になることで、「どんな自分でもOK」という受容につながるのですが、詳しくはまたの機会にその辺りも触れてみますね。


瞑想実践、とても素敵でしょ?

では、どうしてそれだけじゃもったいないの?というところ。


私たちが瞑想を実践するのって、「毎日の生活を生きやすくするため」というところから始まることが多いと思うのです。もちろん、先ほど触れたように実践が深め智慧を実感し「それそのものを生きる」という、もっと深い何かを求めていらっしゃる方もいますが、まずは「毎日の生活」を置き去りにしてしまっては、机上の空論となってしまいます。

研究者と実践者の違いと言いますか...。


実践者としては、この「毎日の生活」や「生きる」ということを置き去りにしないでいたいですよね。


そこで、毎日の生活の中での「気づき」が大切になってくるつ思うのです。

ここを放っておくと、せっかくのニュートラルなものの見方が「現実の自分」とかけ離れていきます。せっかく「よりよく生きる」ために始めた瞑想。でも瞑想実践によりもたらされる感覚と日常の自分の乖離が、逆に自分を責めてしまうことにつながることになります。

または他の誰かや環境など、乖離に至る「理由」や「原因」を作ってしまうのです。


「私」あるいは、「他の誰か」、「環境」が原因となり、自分の理想にならないのは、あーだこーだ....と、思考の世界が日常を曇らせてしまいます。


ここで大切なのは、自分を責めるために気づこうとしないこと。

マインドフルネスの実践は、「良い・悪い」「正しい・間違っている」といった価値判断から離れましょうというのもとても大切。「気づく」だけでOKなのです。


”あー、自分の心がそんな風に反応しているんだなー” とか、 ”こうであって欲しいという願いがあったんだなー” とか、自分の心の動きに気がつけたら、それだけでハナマルです。

それを「こんな風に考えなくてはいけない」などと、心や思考を矯正しないでいてみましょう。


そうやって気づいていくうちに、心の奥深くまで気づきが深まっていきます。


自分の内側にある願い、不安など、何があっても大丈夫。そのまま迎え入れることができるようになるまで、心を豊かに柔らかく育てていっている、そのプロセスが大切で「生きる」ということでもあります。


そして、日常の中で「気づく」ということだけでは、理解が深まっていかないのも事実。そこは瞑想実践が大切になってきます。



気づきや受容ってどんどん深められるんです。

だからこそ、プラクティスをやめてしまわないこと。宝探しのように「気づき」と共に、自分らしくあることをそのまま自由に生きられるといいですよね。





◉ありのままの自分に戻る時間◉

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