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マインドフルネスと心の筋トレ

cocoyogayukari

更新日:2024年6月29日

せっかく実践を続けていても、どんなにプラクティスを頑張っていても

「あれ?迷子になってしまった??」ということってあります!笑


少し前にもマリオのゲームに例えて書きましたが、プラクティスを真摯に続けているからだったり、実践が積み重なってきているからだったりする場合もあると思うのです。

気づきや理解が深まる時だからこその「混乱」や「迷子」。


いつものようにちょっと例え話をしてみますね。


マインドフルネスは心の筋トレと表現されることがあります。


自分の苦しみや生きづらさといった大きな要因にいきなり挑むのではなく、まずは心の受容性という筋肉を少しづつつけていけたらいいよねーということ。


例えば、もう疲れ切ってしまっている状態、そして筋肉も疲弊していたり、それにより骨格も歪みがある状態で横綱とガッツリ四つに組んでしまっては、すぐに投げ飛ばされてしまうだろうし、怪我をしちゃうかもしれない。

だから、大きな要因にいきなり向き合おう!と真っ向から四つに組むのではなく、それはそれとして、まずは疲れを癒し、癒されてきたら少しづつ筋肉をつけたり、歪みの原因となっている強張りをほぐしたりして、少しづつ受容できることや理解の対象も大きくしてみようという感じでしょうか。


マインドフルネスを始める時ってみんな何かしらのきっかけがあったり、興味を持つ何かがあると思うのです。

その時に、癒しが必要な方もいらっしゃる。

そんな場合は、まずは癒されることが大切ですよね。


心から血を流し、涙を流している状態で、筋トレなんて、もう辛いに決まっているさー!

癒しが必要であれば、まず癒そう!大手を振って自分を大切にすることを自分に許してあげればいい。


そして癒されたら、次のステップです。

自分を苦しめたり、傷つけたりするものって、実はないんだよという理解へと進みます。

こうでなくてはいけないといった自分の中にある価値観や常識、理想像といったものから離れることを許す。そして、自分の本当の心の反応をそのままにしてもいいんだよと許していくステップです。


ここが深まってくると、だんだんとどんな反応が起こっても大丈夫だよと自分に言ってあげられることができる。なので、心に自由を感じやすくなってきます。

この自由、とっても深いんです。だからどこまでも深めていくプラクティスが続きます。

そうやってプラクティスを深めていくと、この世の中ってこんな風になっているんだなーと内側から智慧が現れてくるのです。


さてさて、そうやってプラクティスを深めていくと、「あれ?これでわかった!と思っていたのに、わかってなかったの?」とか、「もう大丈夫と思っていたのに、なんだかまた迷子になってしまってない?」という時が出てきます。

それってどういうことなのでしょう?(ここが今日の本題)




今日はボクシングに例えちゃう!笑

いや、詳しくないですよ、ボクシング。なんなら、観たことないかもだけどね。えへへ。


ボクシングって、重量別で分かれていますよね。

(ボクシングの階級、ググってます。知らないです。はい。笑)


一番軽い階級をミニマム級と言うんですって。

ミニマム級で戦うためには、きっと無駄な脂肪を落とし、なんなら水分までなるべく排出し、そして必要な筋肉をつけて戦うのではないかと思うのです。


戦う相手も、1人ではなく、一つの試合が終わったら、また次にチャレンジし、それを続けてその階級のチャンピオンに挑む。


そうして、もしも次の階級に進もうと決めたら、今度は軽々と吹っ飛ばされてしまわないようにまた体作りから始めなきゃになると思うのです。


そうでないと、今まで作った体だと簡単に吹っ飛ばされてしまうだろうし、パンチ力も足りない。だからこそ、また新しく筋肉をつけ、増量していく。準備の段階ではまた脂肪も水分も抜かなきゃいけない時もある。

また一つずつ試合をして、経験を積み、チャンピオンに挑む。


そんな風にして階級を進む。

その過程では、自分の体格に応じた階級だったり、チャレンジングな階級だったり、持って生まれたもの、そして自分で積み重ねるもの、その両方を自分の中で認め、受け入れ、それでも練習を続けるかどうか、自分で決めていく。


これと心の筋トレって似ていませんか?


ミニマム級で戦えるように、心を癒し、心の筋肉をつけ、プラクティスを指定行く。そうすると、ちゃんと必要な癒しが起こる。ストレスケアと呼ばれるマインドフルネスが身に付く。

チャンピオンのような、上司だったり、パートナーシップだったり、両親との関係だっだり、コンプレックスだったり、苦い経験だったりを癒し、理解する。

もちろんその階級で止まることもできる。次の階級にチャレンジしてみることもできる。

それは、自分が決めること。


次の階級にいったら、あれ?こんなにトレーニングしたのに、戦えない....となってしまう。だからまた初めからトレーニングをする。


似てますよねー。


癒されたから、自分の中に気づきが起こるのです。

理解ができるようになったから、理解していないことに気がつけるのです。

体感が深まるから、より繊細な体感を感じられていないように感じるのです。


混乱ってそんな時に起こるのだと思います。


プラクティスをしたからこそ!

だから、混乱してしまったからといって、迷子になってしまったからといって、そして本質にはまだ道が続いていると気がついてしまっても、それはそこまで真摯にプラクティスを続けてきた証です。次にチャレンジしようと勇気を持って歩みを続けているからこそです。


堂々と混乱して、迷子になって、そして落ち込んでください。笑

そして地道に気づきと共にいてみましょう。プラクティスはちゃんと積み重なります。

でも休憩が必要になったらいつでもお休みしてください。プラクティスは逃げません。

安心して、でも怠惰にならないで、自分のペースで、自分の道を歩めばOK!


応援してます♡


*今日はボクシングを例えにしたけれど、決して自分の中の葛藤やトラウマ、コンプレックスや困難などと、戦うと言うことではありません。戦わなきゃいけないものなんて何もない。トレーニングの積み重ねだったり、階級というものが、ちょっとヒントになるかなーとボクシングを例にしてみただけなのですよ。

誤解なく伝われば嬉しいです。




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