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cocoyogayukari

コミュニケーションとマインドフルネス

なんか目が眩みそうなタイトルですね。笑

カタカナが続くと何が何やらわかりにくい!


さてさて、前回の友人関係とマインドフルネスに続いて

コミュニケーションとマインドフルネス。


自分一人だととっても自分らしくいられるんだけど

誰かと一緒にいると、すぐに「自分らしさ」がわからなくなっちゃうんです

っとよく聞きます。

さてさて、これはどうして起こってしまうんでしょう?


いくつか要因はあるので、ひとつずつ見てみましょう。


◉わかりやすい例として「自分以外の誰か」に

主軸が移ってしまっているっというのがあります。

自分以外の誰かの価値観を通して

自分が「どう見られるか」「どう受け取られるか」が気になってしまい

自分が感じていることを自由にそのままにできなくなってしまう。

時には友人、時には同僚、時にはパートナーなど

コミュニケーションを取っている誰かのこともあります。

そして、世間の目っと言われるいわゆる常識」が

主軸になってしまうこともあります。

また、SNSのような今ここにいない漠然として「誰か」が

主軸になってしまうこともあります。

それから、年齢・地域・時代・環境などを主軸にしてしまうこともあります。


すぐ周りの目が気になるんですーっと自覚されていらっしゃる場合もあれば

無自覚の領域に刷り込まれていて

なんの疑いもなく「普通ならこうよね」と

主軸を自分から放棄してしまっている場合もあります。


◉もう一つのよくある例として「同化してしまう」っというのもあります。

話を聞いている間についつい自分に当てはめて聞き入ってしまい

まるで「自分」のことのように感じてしまう。

自分が感じているわけでもないのに、感じているかのような疑似体験をしてしまう。

そうすると、あっという間に自分から軸が離れてしまって

誰かのように物事を受け止めるたり、行動してしまうっというのが起こります。

これは適切な心の距離がなくなってしまうことで起きやすいです。


親身になることと、同化してしまうことを混同してしまう習慣があったり

自分を信じるよりも、きっと間違ってしまっているだろうと思い込んでしまっていたり

素直で感受性が高い方なども、話にはまり込んでしまい

「同化」しやすいかなーっと感じています。


◉自分不感症になってしまっている。

もうなんだかんだ言うよりも、自分が何を感じているのか

自分の内側にどんな反応が起こっているのかを

感じることができなくなってしまっている時にも

主軸はあっちへ、こっちへと移っていきます。


◉自己犠牲がデフォルトになってしまっている。

自分よりも誰かを優先してしまうことが習慣となってしまっている場合も

コミュニケーションにおいて、自分らしくいるのが難しくなってしまいます。

この場合は、「正しさ」や「願い」に優劣をつける習慣があることもあります。

どちらかを採用したら、どちらかを犠牲にしなければいけないっという思い込みです。

本当はどっちも大切にできるんだけどね♡


◉正しさを求めすぎている

誰かとのコミュニケーションの中で「意見の相違」や「ものの味方の違い」がある時

どちらが正しいかを見極めようとしてしまったり、

自分は「正しい」っということの主張が強くなってしまいます。

そうすると、心の窓を知らない間に閉じてしまうことがあります。

自分の心の扉が閉まってしまうので、同じように相手の心の扉も反応して閉じてしまい

コミュニケーションが上部のものになってしまったり

なんだか分かり合えないなーっという感覚が出てきてしまいます。




もちろんこれら以外のことがベースになってコミュニケーションの中で

自分らしくいることが難しいっと感じることもあると思います。

でも、「自分らしくいることが難しいっと感じられている」っということは

とても素敵なスタートに立てているんだと思うんです。

まずは自分が感じていることをちゃんと迎え入れてあげよう!

そして、それをどうにかしようとしてコントロールしないこと。

ついついね。

より良くなりたいっというのが強くなると急いで思考の求める「より良い状態」へと

自分をコントロールしてしまいそうになるのですが

マインドフルネスでは、そんな必要ないよっとお伝えしています。

だって、そんなことしたらまたありのままの自分から遠くなってしまうじゃない。

だから、シンプルにいきましょう!

コミュニケーションをしているその時に

自分の中でどんな反応が起こって

無意識に何を主軸にしているのかに気づく練習から始めたら大丈夫。

感情の反応を「現行犯」でとっ捕まえるのです。わははは。

「現行犯」なんて書き方をしちゃうとまた悪者のように取っちゃう?

全然悪者じゃあないです!(表現下手でごめんね。笑)

「その時、その現場で気づく」っということ。

その練習です。

初めは通り過ぎちゃって、お家に帰ってから気づくこともあるでしょう。

でもそれでもOK。

練習だからさ。

少しづつ、その時に気がつけるようになります。


そして、気がついたら、今度は自分の反応を大切にしてみる練習です。

このステップの時に注意したいのは

「自分の感じていることを大切にしながら、

相手の感じていることをコントロールしたり、ジャッジしたりしないでいたいね」です。

どちらも大切にしてみる練習。

特に友人や家族などとのコミュニケーションの中では

どちらかが「正しい」ではないっというのを覚えておきたいところです。

みんな自分と同じように「自分」っというフィルターを通して経験を受け取り

そして「自分」っという世界の中心にあり

唯一無二の大切な命なのだということを忘れないでいられれば

そこへリスペクト・尊重をすることができるようになります。


深刻になりすぎてしまうと「正しさ」を求めやすいので

「正しさ」から離れ、今そんな風に感じているんだなーっというくらいの

軽やかさを持ってみましょう。


そして、どうしてもコミュニケーションの中に息苦しさを感じてしまう時には


この人は人生で悩み・苦しみを経験しています。私と同じです。

この人は人生で喜びや幸せを経験しています。私と同じです。

この人は幸せになりたいと願っています。私と同じです。

この人が幸せでありますように


っと心の中で唱えてみましょう。

目の前にいる相手をどうにか説き伏せようとしている自分や

自分を犠牲にしてでも相手を優先しようとしている自分に気がついても

どうにも心がモヤモヤしてしまう時に

ふっと我に返り、同化してしまった心の距離が適切に離れてくれます。


そう。

みんな幸せになりたいし、そのように頑張ってる。

でもその方法を知らない時もあるし、頑張ってもうまくいかない時もある。

だから、私が幸せでありたいっというのと同じようにその人も幸せでありたいと

願っているんだなーっというのが分かれば

お互い頑張ろうね!っと応援もしたくなれるものです。


コミュニケーションの中にみる居心地の悪さは

相手ではなく、自分の中の反応であること。

それを潔く迎え入れ、自分が自分の心の主軸となるように

毎日の生活の中でプラクティスを重ねていくのみ。

それだけで、もう何にも振り回されることがなくなるなんて

とっても楽ちんで、よくない?


おっとっと。

今日はまたしても長くなってしまいました。

また次回も◯◯とマインドフルネスシリーズ!

気長にお付き合いくだされませー♡






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