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コミュニケーション

心で感じている事と話している事、一致していますか?

本音とアウトプット。

きっと一昔前の日本では“本音と建前”っと言われていたように

違っていてもよかったのかもしれない。

というか、違っても人との関係を円滑にできるという風潮のもと

口先だけの“いい人”が求められていたのかもしれないですね。


でも、今は違うんじゃないかなーっと感じています。

残念だけど、きっと見透かされていますよ。

って言葉が少しキツかったかな。笑


もう何年も何年も前、ヨガやヨガエサレンに出会って

ひしひしと感じてしまいました。

どんなに、いい感じを演じてみても体に現れていて隠せないんだろうなーっと。

だったら、もう隠そうとするのも良い子の雰囲気を醸し出すのも意味ないなっと。

ちゃんと自分の心に気づいて、向き合い、

ありのままの自分の心の反応を観る自分のものだと受け入れる覚悟をしたんだと思います。


大雑把に自分の心を感じていると、それはネガティブと言われるような状態や

怒り、不平、不満に感じていることもあると思います。

でも、繊細にその心に気づくと実は「こうで合ったら嬉しかったなー」とか

「こうで合ったら安心できたのになー」などの望みがあったんだと

気づくようになったんです。

どんな心の反応も、大切な自分の感覚。

だから、そうなんだなーっとその感覚を自分のものだと受け入れてみます。

そして伝えたいという思いがあるなら、それを上手に言葉にできるように工夫しました。

これって原始仏教でいう「方便力」を育むってことですね。


そうしているうちに、心が暴走することもなくなってきます。

ちゃんと自分の思いをアウトプットしているから、溜め込まないもんね。

ため込むと、心が発酵して増大しちゃう感じがするよね。


伝わるように誠意を持ってコミュニケーションが

できるようになるんじゃないかなっと思っています。


受け取り方はもちろん、受け取り手に任せるので、

必ずしも自分が望むようになるとはかぎりませんが、それも気にならなくなってきます。

だって、誠意を持って自分ができる事はしたから。


そうしている間に、相手にも相手の思いがあるのだと気がつけるようになり

その思いを尊重して、誰かを変えようとかってならないから

結果、自分が楽になってくるんですよね。


分かり合えると嬉しいし、

分かり合えなくても、それはそれ。

あなたはあなたで、私は私

っていう、適切なバウンダリー(距離感)が実感できるのです。


あなたの心の本音とアウトプットは一致していますか?





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