エゴと思考

エゴにしがみつかないで!


エゴってもちろん悪者じゃないんです。

私たちは今「個」として体を持って生きているので

エゴがあって当たり前。

そのエゴが自分だと勘違いしてしまうことを

マインドフルネスでは同一化っと呼びます。

エゴと自分という存在が一緒くたになってしまっている状態です。

仏教では無明と言います。


エゴが自分だと思っているところから、

エゴを持っているし、エゴを通して見ているけれど

エゴは自分自身じゃないっということに気づくことを

脱同一化っと言います。


エゴは自分はこういうものだと

自分をわかりやすく構成しようとします。


・持ち物(普段の洋服や鞄などの所有物から、車や不動産・金融などの資産など)

・地位

・名誉

・容姿

・学歴

・肩書き

・人間関係

・経験

などなど


上に書いたようなものが自分だと思ってしまう。

これがエゴが主導権を持っている状態です。


「この経験をしている自分」が自分

「この肩書きの自分」が自分

「この服を好んできている」のが自分


っといった具合です。

そしてそのエゴをベースにして考えていることを

自分の心がそう感じているっと勘違いしてしまいます。

「私はこれを求めている」っといった具合に欲求も生まれます。

「私はこれが大切」っといった具合に執着も生まれます。

その感覚はあたかも心や魂が欲しているかのよう感覚と共に

感じられる方が多いと思います。

なぜなら、生まれてからずっと一緒にいるエゴや思考ですからね

自分のことをよーく知っているんです。

無意識までを知り尽くしたエゴはめちゃくちゃ巧妙に

私たちを騙します。笑


もう一度言いますね。

エゴも思考も悪者じゃないです。

不要なものなど一つもない。

でもこれらが主導権を握ってしまっては

エゴからも思考からも自由になることはできません。

いつまでも何かが足りない感覚があったり

自分や自分以外の何か(誰か)に原因(悪者)があると思ったり

変化が怖いと感じたりしてしまいます。


ではエゴから自由になるとどうなるのでしょう?

エゴを自覚しつつも、本当の信頼が自分の中にあることに気が付きます。

自分の中にあるので、見るもの、起こること、

自分を取り巻く全てに信頼が生まれます。

そしてコントロールを手放し

委ねることができるようになるのです。

自分の「個」としてあわられている命を

ありのままに生きるっというのはこの状態のこと。


エゴから自由になるには、エゴに気づくこと

思考から自由になるには、思考に気づくことです。


気づかないものは、そこから離れることはできません。


手に何かを握っているっということに気がつかないと

手を開いて握っているものを手放すことができないのと同じです。

肩に力が入っていることに気がつかないと肩の力が抜けないのと同じです。


この気づきっというのは、小さな灯りのようなものです。

無明という真っ暗な中に、小さな気づきの明かりを灯します。

そうするとちょっと見えるようになる。

気づきの明かりをいくつもいくつも灯し続けていいくと

明るくなってそこにあるもの(エゴや思考)が見えてきます。

ちゃんと見えるようになるとエゴも思考も

悪いものでも、怖がるものでもないとわかります。

わかったら、無理やりないことにする必要もなく

そこに置いておくことができるようになるんです。

そしてそこに大切に置いておくことができるようになる

っというのが個性を発揮できるようになるっということです。


明かりを灯さないで

ないことにしようっと思考がエゴを誤魔化したり

エゴ自体がないかのように振る舞っていると

認知している意識のその奥で

何か正体がわからないものがあり続けることを感じ

見るのが怖かったり、誤魔化し続けたりしなくてはなりません。

それは、自分の肩書きや地位、人間関係や持ち物などに執着するのと

全く同じことです。

見ないようにするっということと

そこにしがみ付くっということ。

行動が違うようで、エゴや思考に執着し、

主導権をそれらに渡してしまっている状態です。


エゴや思考に気づき続けてみましょう。

それらに気づいている意識が自分。

どんな意識で毎日を過ごしたいか

気づくことから選択がはじまります。







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