先日、お食事会をしていたのです。
そこで出た話題、「みんな夢中になれることがあって、それをちゃんと続けていて、身になっている。何かの才能があるのが羨ましくて、自分も何かを見つけたいんです」との何とも可愛い「自分の才能となる何かを見つけたい」という思い。
きっとそれまで自分の周りにいなかったような人たち、自分の夢中になれることがある、自由にそれに夢中になれる、そしてそれを仕事にも活かしているような人たちと出会うことにより、「自分にも何か」という思いが出てきたのだと思うのです。
『自分にはできることは少ない、だから “できること” の中から仕事を探し、職場の人間関係という荒波を何とか泳いだり、それによるストレスをどうにか発散して毎日を過ごしてきた。それに比べて、この人たちは “頑張ること” さえ楽しそうに見える。それって夢中になれることがあるからで、そしてそれに対する「才能」があるからだ』という風に見えていたのだと思うのです。
そんなその場にいた「自由人たち」、その発言をした子にとって「才能のあるように見える人たち」が一斉に同じ言葉を発しました。
「あなたには『素直』という何にも劣らない才能があるじゃん!」
あまりにもみんなが同じことを言ったので、みんな大笑いだったのですが、本当、「素直」って何にも劣らない、すごい「才能」だと思うのです。
でも、当の本人にとってはそれは「当たり前」に自分に備わっている。だからそれが「特別」なものだなんて思ったこともなかった。
誰かと比べるから、自分が持っていないような「何か」が「特別」に見えるのだと思うのです。そしてそれがあるから「活躍できる」ように見えるのだと思うのです。そして比べるから、「自分には何もない」ように感じられてしまうし、だから「活躍できない」ように感じ、劣等感として自分の中で「物足りなさ」が生じてくるのではないかしら。
ひとつづつ見てみましょう。
「特別」って何だろう。
本来はみんな、もうそれはみーんな、誰1人として例外なく「特別」なのです。だって似た人はいても、同じ人は存在しないでしょ?双子でさえ一人一人は、別人なのですよ。笑
それは誰もが、「唯一無二」の存在だということ。
誰でも自分という存在を「価値のある人」でありたいと願っていると思うのです。それが、マズローのいうところの「尊重の欲求」。安全に毎日を過ごせているからだし、誰かとの間に安心できる関係を結べているからこその「自分が尊重される存在でありたい」と願う思いが現れてくる。だから、その思いがあることは別に悪いわけではない。なんなら、人としての心の成長が満ちてきているねっということ。健全な “人" としての心の成長です。
なのですが、ここで誰もが「唯一無二」の存在ということを忘れてしまうと、人と比べてしまい、「何をしているか = doing 」で人の価値を見ようとしてしまったり、「どんな<職業 / 地位 / 名誉 / 肩書 / 人脈> などを持っているか = having 」を重要視してしまうことで、自分には「価値がない」という思いが湧いてきてしまうこともあると思うのです。
この価値観を持ったまま、自分も「価値」のある人になろうと頑張ってしまっても、行動の「結果 = have」に重きを置いてしまう。そして結果に重きを置いているとmどこまでいっても誰かと比べてしまい、そこに充足感は生まれづらい。だから、もっと、もっと...と自分を「これで特別になれた」と感じることが難しくなってしまいます。
また、本当に夢中になれるものに出会う前に、誰かに評価されやすいもの、誰かと同じ類のもの、流行り物などに流されてしまい、本当に自分が夢中になれるものに気が付きづらくなってしまう。これを他人軸と呼ぶこともできるかもしれませんね。
『感じるマインドフルネス』では、そんな doing や having に重きを置いていては、being = “自分という「唯一無二」の存在の感覚 ” は育まれてきませんよとお伝えしています。自分が等身大の自分でいてみようとすること、それによって『自分はこのままで充分なんだ』と感じられる時がやってきます。それが、それぞれが『特別な存在』だったのだと心の奥深くから安心感として感じられる秘訣なのだと思うのです。
自分を「そのままでいい」とできるから、自分にとっては「当たり前」のものこそが『才能』だったのだと気がつくこともできるだろうし、「そのままでいい」とできるから、その『才能』を思う存分発揮できるようになるのだと思うのですよ。
「活躍する」ってなんだろう。
それはただ『その人らしく毎日を過ごしている』ということの積み重ねなのだと思うのです。
『その人らしく毎日を過す』ということを自分に許すと、のびのびと毎日を過ごすことができるようになります。のびのびしているのですものね、それは何だか素敵な空気感(オーラ)を纏っているように見えてきます。
何より、のびのびと健やかに楽しそうな人に人って惹きつけられるものだと思うのです。それも似た何かに響き合う人たちが。だからこそ、また心地よく毎日を過ごすことが容易くなる。その循環が『活躍』しているように “見える” ということなのだと思うのです。
頑張って「本来の自分でない何か」として躍起になっても、その状態のものに惹かれる人たちが集まってきます。 doing や having を求る仲間たちとの集いを求めているなら、それがその人らしさ。もちろん、それがいけない訳ではありません。
でも、もしそうじゃないなら、 doing や having を求め続けてしまうと、少しづつモヤモヤが蓄積されてしまいます。そしてモヤモヤは空気感(オーラ)として伝わってしまうもの。上手に隠し続けようとしても、疲れちゃうものだと思うのです。疲れちゃうから、笑顔もお面のようになってしまい、ますますその人らしさから離れてしまう。どんなに成果を上げていても「お仕事、頑張っているね」と見えることはあっても、「活躍」しているようには見えないかもしれません。
自分が何をどう見ているかによって「活躍」しているように見えることもあると思うのです。でも、もし「どう見られるか」よりも、自分自身の「充足感」に重きを置くなら、「活躍している」かどうかはちょっと傍に置いて、「自分らしく毎日を過ごす」ことを意識的に大切にしてみましょう。そうすると、結果(「活躍しているかどうか)よりも、もっと健やかな「充足感」がしっかりと感じられるようになると思うのです。
「充足感」があると、もう誰にどのように見られるかを気にする必要もなくなり、「活躍しているかどうか」なんて気にもならなくなってきます。
だって『自分らしく毎日を過ごしている』ができているんですものね。それで “大満足!” だし、それがいいよね。
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さてさて、なんだかんだと今日は長く書いてしまいましたが、ここまで見てくると、『素直』って最強の才能だと思いませんか?
『素直』であるからこそ、自分を「そのままでいい」とできるし、「自分らしく毎日を過ごす」ということを自分に許すことができるのだと思うのです。
拗ねてしまったり、こじらせてしまっていては、やっぱり『そのままの自分』にOKが出しづらいよね。
『素直』だからこそ、「そのままでいいんだよ」に対して「そっかー」と受け入れられるし、「そのままの自分」を感じられるようになる。そうしたら、次の自分らしさ(才能)も発見しやすくなると思うのですよ。
これが、「こうじゃなきゃいけない」、「こんな風に自分を見て欲しいのに.....」、「私を認めて欲しいのに...」、「こうやったらもっと自分に興味持ってくれるかな」などと「拗ねる」「こじらせる」が絡まり合って複雑になってしまうと、ぐるぐる回っていつまでも自分らしさから離れてしまいます。
ねっ!素直、最強! 笑
食事会の時に、自分らしくイキイキと生きている人たちが口を揃えて、「あなたには『素直』という何にも劣らない才能があるじゃん!」っとなったの、わかるでしょ?
自分らしく生きている人たちほど、素直ということの最強さを知っているのだと思うのです。素直って立派な才能。
あれ?素直になっていないかも?っとなったら、気がついた今がチャンス!
シンプルに「素直」に戻って参りましょう♡

◉ありのままの自分に戻る時間◉
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