「安心」してますか?
- cocoyogayukari
- 5月8日
- 読了時間: 5分
更新日:5月10日
先日、養蜂見学に行ってきました。
蜂のマニア達のサポートをいただき、ブンブンと振動する羽音の虜になりそうです!笑
蜂たちが嫌がる行動を教えてもらって、安心して蜂のテリトリーのど真ん中にお邪魔しました。「安心」って大切よね。
生き物が攻撃する時、それは捕食のための時、あるいは自分や自分のコミュニティ、または家族を守る時。
生き物は自分のテリトリーを犯されそうになったり、自分の危険を感じたら、攻撃をしないと自分が危険になる。だから攻撃してくるんですよね。そこに安心があったら、動物だってわざわざ襲ってきたりしないのです。肉食獣だって、満腹の時は草食動物が周りにいても、平気な顔でお昼寝しているそうです。それでも、攻撃が必要となる時、それは危険を感じ、守る必要がある時なのだそうです。
これって人間にも言えることだと思うのです。
私たち人間も何かを「守る」必要を感じた時、無意識に攻撃してしまうことがあります。もちろん、それは攻撃したい訳じゃない時も、攻撃しているつもりもない時も、多々あると思うのです。
さて、何を守っているのでしょう?
それは、自分にとっての「安心」なのではないでしょうか?「安心」と一言で言っても、人それぞれに違うと思うのです。なぜなら、みんな何を持って「安心」しているのかが違うものね。
わかりやすいのは、目に見え、触れることのできる物質的なもの。例えば、経済的な収入や財産、持ち物、家族や友達などの人間関係もあります。そして、ちょっとわかりづらいものとして、目に見えないもの、触れることのできないもの。例えば、地位や名誉、肩書きなど。マインドフルネスでお伝えしているところのHaving(行動の結果として得られるもの)です。さらにわかりづらいもの。それが、信念や正しさ、自尊心など、心に属しているもの。さらにさらにわかりづらいものとして、自分の心のテリトリーなどもあるかと思います。
それらのものを「侵された」あるいは「侵されるかもしれない」と感じる時、人はそれらを守ろうとするのだと思うのです。
ここで注意したいのが、「自分がそう感じた時」に守ろうとしているということ。それは、相手が本当にそうしようとしているかどうかではなく、「自分がそう感じた時」なのです。
ゆったりと心に余裕がある時と、ぎゅっと窮屈になっていたり、心のバランスが揺らいでいる時では、人は感じ方が違います。だから、相手の言動が同じであっても、「守る必要あり!」と反応する時と、眺めていられる時があるのだと思うのです。
ちょっと想像してみてください。
怒りっぽい人っているじゃない? それって何かを守っていないかしら?
例えば...
・自分の仕事をきちんと遂行する為の時間的制約や結果(功績)
・自分が「間違った」とならないための正論や言い訳
・自分を特別に、あるいは大切に扱ってもらうことで確認したい自分の価値
もちろん、こちらがそんなつもりで言ってなくても、すぐに怒りはじめちゃう人っているものなのです。そしてそんな人たちは、ぜーんぜんその人の安心を侵してなくても、「守らなくっちゃ!」と反応しちゃうものなのです。
もしかすると、たくさん頑張っているのかもですよね。だからこそ、心の余白がなくなっていることもあるのだと思うのです。
そう思うと、プンプン怒りんぼの上司も、親や反抗期の子供も、なんだか愛おしく見えてしまいます。笑
そして、その反対に過剰に悲しむ反応も、実は攻撃の方向が相手ではなく、自分に向かった攻撃だったりする時があるのです。
例えば....
・思っていた結果が得られない時、「結局自分が悪いんだ」という必要以上の自責
・私には「価値がない」と自分のありのままを否定し続ける
・自分の価値を認められなかったと感じた時の、過剰な傷つき
これらの奥には「わかって欲しい」という願いや、「私は間違っていない」という思いもあったりするのだと思うのです。そしてそれらを自分で抱えきれなくなった時、それは傷つけたと思う相手への「私!悲しんでますよー!」「あなたが私を傷つけましたよー!」という攻撃に転じてしまう時もあるのかもしれません。
( 傷ついている時って、誰かを意図的に攻撃しようと思っていないことが多いと思うのです。だから、そうなってしまっていても、今 “傷ついた" と感じている感覚は事実。そう感じることが悪いわけではないと思うのですよ。)
そんな時には、さらに自分を責める必要なんてない!自分が自分に優しく「悲しかったんだね」、「わかって欲しかったんだよね」「間違ってないよという言葉が欲しかったよね」などと、言って欲しかった言葉を自分でかけてみましょう。
そして、それがもし、本当にあなたを傷つけるための行為であったとしたら、そこから物理的に距離を持つことをお勧めします。ちゃんと自分で、「安心」や「安全」は守ってあげたい。
蜂は、自分のテリトリーや自分、仲間が攻撃されたかどうかよりも先に、「攻撃されるぞ!」と感じた時に襲ってきます。そして、自分たちの進路、巣箱の出入り口の前などに立たれると、「イラっ」として攻撃するそうです。笑
人も、同じで、自分が「攻撃されるぞ!」「守りたいものを侵害されるぞ!」と感じた時に攻撃的になってしまいます。そして、自分の思い通りになれないかもと感じた時に攻撃的な反応になりやすいんだと思うのです。
だとしたら、「攻撃してないよ〜」とそこに安心を感じる存在としてそのに存在することが誰かの安心につながることがあるかもしれない。そして、「あなたはどんな風に進みたいの?」と、リスペクトを向けることが安心につながることがあるかもしれない。そんな風に思うのです。
自分が「安心」に無頓着になってしまっているようであれば、「安心してもいいんだよ」と自分に声をかけてあげること。それが、過剰な傷つきや、怒りから卒業につながるのだと思います。
「今ここ」に「自分に危険がない」と認知すること。
それは心を今に置いておく練習からだと思うのです。「安心」、育んでいけるといいですね♡

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