「わかる」なんていらない
- cocoyogayukari
- 5月4日
- 読了時間: 3分
20歳前後の何年か、私のあだ名は「なんで星人」笑
誰かが何かを言うと「なんでそう言ったの?」「なんでそう思ったの?」
日が昇るだけでも、「なんで日が昇ったの?」「なんでこっちから昇ったの?」
物質が変化すると「なんでその反応になるの?」
フランス語を聞くと「なんでそういう言い回しになるの?」(←フランス語、使えるようになりたかったけどなれなかったのです。えへへ)
どこかの国の歴史を聞くと「なんでそういう流れになったの?」
いつでも「なんで?」「どうして?」「どのように?」
何もかも不思議で知りたかった。興味がありすぎて、これが答えだと言われても、それ以上は分解できない事実だと言われても、それでもその奥にある「なんで?」が溢れておりました。
まー。日本に帰ってきて、子育てが始まるとそんな純粋な好奇心はどこかにお留守になったのですが。とっても楽しかった、誰にでも聞いて聞いて、聞きまくっていた「なんで?」と問う時でした。
子供の頃には、「なんで?」と思うと問うことができたゾーン、というか意識というか、なんと表現したらいいかわからない。人間に聞くより手っ取り早い手段があったのが、ティーンネージャーになり、つながることを忘れ、そしてやっとやってきた「なんで?」の時。
でも、そこでできるのは「言葉の理解」しかなかったように思います。だからこそ、「これが答えだ」と言われても、納得することなく、その奥にあるであろう何かを求め、問い続けてしまう。それは、実態のない答えは私にとって答えではないからなのです。
今、感じるマインドフルネスをお伝えしていて、「頭ではわかっている」けど、腑に落ちていないことで苦しんでしまう方が時々いらっしゃいます。
それは、「理解」が実態のない「言葉」だけのものになっている時、心が置いてけぼりになってしまうからだと思うのです。
でも、心を軽やかにしたくて、人間力を育みたくて始めた学びが、新しい苦しみを産んでしまうのは勿体無いと思うのです。
大丈夫。プラクティスを続けていけば、今「頭」でわからないことが「実態のある体感 / 体験」としてやってくる時があります。
なぜなら、あなたの心臓はあなたの理解を超えて動いている。それがその証拠でもあるのです。あなたが呼吸の方法、それがどのように肺に取り込まれ、どのようなメカニズムを持って体に巡り排出していくのかを知らなくても、いっときとして止まらずに続けているということ。体は知っています。
だから、「わかる」を目標にすることを手放してしまえばいいと思うのです。
大丈夫、そっちじゃないよ。という方向に迷い込んでしまいそうになったら、こっちだよと声をかけます。
シンプルに、プラクティスを続けましょう。
きっとご自身が取り組んでいるプラクティスがどんなものであっても、先人っていると思うのです。だから、安心して先人と共に歩んでいけば良いのだと思うのです。
あれ?こっちの方が私にあってるかも?っと思ったら、いつでも選び直していいし、選び直しても、いつでもまた戻ってもいい。
どこまでも自由に。でも好奇心を忘れずに、ご自身としてのプラクティスを諦めてしまわなければ、「腑に落ちる」時がやってくると思います♡
みんなの「なんで?」が「これでいいのだ!」に変わる時が来ますように!
願っております。

◉ありのままの自分に戻る時間◉
◉心とからだのバランスをとり戻す◉
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